静かな畝傍山と歴史散歩。
鳥屋ミサンザイ古墳(宣化天皇陵)の特徴
畝傍山を真正面に望む、静かな落ち着いた場所です。
墳丘長138mの前方後円墳で、歴史の中に吸い込まれます。
第28代 宣化天皇と橘仲皇女の陵と伝えられ、多くの人に訪れられています。
新沢千塚古墳群を見た後に訪れた。豪族の古墳に囲まれた陵はさすがに大きい。
宣化天皇の御陵に来てまづ感じられたのは真正面に畝傍山があり、静かな落ち着いた場所だった。周濠は奥がデカクて恐らく後世に農業用に拡張されたものだろう。垂仁天皇陵と同様水面が広いと美しい。宣化天皇は継体天皇と欽明天皇の間の複雑な政権闘争があった時代とされていて確証は得られてはないのだが・・・
新沢古墳群に行く道にあります。池は鳥屋池。古墳と一体化して 美しいです。畝傍山を 綺麗に臨めます。
被葬者:第28代・宣化天皇/皇后橘仲皇女実際の被葬者は明らかにされていませんが、第28代・宣化天皇と、皇后である橘仲皇女の陵と伝えられています。築造は6世紀前半頃と伝えられています。拝:2020/07/19
「畝傍の道」 巻一の三の二 橿原市鳥屋町33-2高松寺を経由されても、戸毛久米線から直接お立ち寄りになられてもわかりやすい位置に鎮座されます。それぞれ案内板か常用のえんじ色の道標が誘導し、目の前にすぐい広がります。高松寺を経由されると、あぜ道のような草むらの小径を池沿いに歩みをとることができるので撮影に興味のある方にはお薦めです。村出身の戦役者の碑や一風変わった石道標があります。次は陵の東縁に沿いながら地の小径を辿って「桝山古墳」へと向かいます。途中、春日神社や弘誓寺を経由してゆくことになります。
朝の散歩で寄りました。
69歳のおじいちゃんの時に天皇になった、第28代 宣化天皇の陵。おじいちゃんだったので、3年くらいしか在位期間がないらしい。
鳥屋ミサンザイ古墳(宣化天皇陵)(とりやみさんざいこふん せんかてんのうりょう)鳥屋ミサンザイ古墳(とりやみさんざいこふん)は橿原市鳥屋町に所在する、墳丘長138mの前方後円墳です。前方部を北東に向けており、県道戸毛・久米線から南にその姿を望むことができます。周囲に幅約10~25mの盾形周濠が巡っています。これまでに外堤の護岸工事にともなう調査などで円筒埴輪や須恵器が出土しています。それらの遺物から6世紀前半に築造されたと考えられます。鳥屋ミサンザイ古墳は、宣化(せんか)天皇の身狭桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのえのみささぎ)とされています。宣化天皇は第28代天皇で、継体(けいたい)天皇の第二皇子です。名は武小広国押盾天皇(たけおひろくにおしたてのすめらみこと)といい、新羅が任那と百済を攻撃した時には大伴狭手彦(おおとものさでいでひこ)を派遣して防衛にあたらせた、と『日本書紀』に記されています。
第28代天皇。近鉄橿原神宮駅からは県道133号線を西へ1キロほど。県道には標識が立っています。南へ100mほど。住宅地横に参道があります。周濠は農業用水池と繋がっているので大きくみえます。
| 名前 |
鳥屋ミサンザイ古墳(宣化天皇陵) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0744-47-1315 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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