歴史の中の飛燕を感じる。
掩体壕 大沢2号の特徴
太平洋戦争中に作られた戦闘機防空壕です。
旧陸軍が三式戦闘機飛燕を守った場所です。
調布飛行場近くの公園内に位置しています。
太平洋戦争中、戦闘機を爆撃から守る為に作られました。高さが低いので垂直尾翼がぶつかりそうな気がします。実際はどういった感じだったかイメージ図の様な物があると良いですね。
戦闘機の防空壕の様なものね。この辺りは戦前には中島飛行機等の軍需産業が栄えていたから連合軍(米軍)の標的になっていた。調布飛行場もその為のもの。
公園の中にあります。
調布飛行場の三鷹寄り端にある、旧陸軍の掩体壕です。掩体壕は航空機を敵の空襲から守るために作られました。作り方です。まず地面に土を盛って小山のようにします。格納する航空機のサイズに合わせます。その上に紙などのシートを敷いてコンクリートを被せます。一部に鉄筋を用いて補強し、また支柱を挿します。コンクリートが乾いたら内部の土を掘り出し、完成です。半地下になっており水が溜まりやすいので内部には排水路を掘ったり排水ポンプを設置します。航空機は後ろ向きに斜面を下って格納し、出す時は前方からロープで引き、後ろから機体を押して出したそうです。掩体壕は全国に1000基ほど作られましたが大部分は崩壊するか解体され、こちらのように綺麗な状態で残るものは貴重です。
旧陸軍が空襲から三式戦闘機「飛燕」を守るために作ったもの。WW2末期の1944年(昭和19年)頃から、この様な「有蓋型」約30基、「無蓋型」約30基が設置された。古い航空写真では、多くの掩体壕が確認されるが現在残っているのは、ここ大沢に二基、南西の白糸台と朝日町に一基づつのみ(朝日町のものは個人所有で見学不可)。空襲から市民を守るための戦闘機を空襲から守ったのは、「本土決戦」のため戦闘機を温存することが、空襲から市民を守る事より優先された結果、とも捉えられる。
名前 |
掩体壕 大沢2号 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.8 |
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