神秘の石灯籠、倭恩智神社。
倭恩智神社の特徴
昔住んでいた河内国恩智神社が懐かしい。
石灯籠の謎がある倭恩智神社は魅力的です。
以前から気になっていた神社の紹介をしました。
式内社・倭恩智(やまとおんち)神社奈良県天理市海知町祭神 ; 建凝命建凝命は倭淹知氏の祖神。社名から連想される河内恩智神社とは祭神・奉斎氏族が異なり無関係です。社名について、倭は大和国内の地域名称、桜井市北部・天理市南部から田原本町東部の辺りの事。恩智(オンヂ)は、奉斎氏族・淹知氏の読みが「アンチ」なのでここから転訛して「オンチ」になったと考えます。この社、もともとは海知町の北側(柳本保育園の辺り)に鎮座していたのですが、昭和になってから町の南側の現在地に移って来ました(画像4参照)。何故昭和になってから遷座したのか?奈良盆地は条里の遺制がよく残っているのですが、海知町の北側から東側にはこの遺制に従わない地勢が見受けられます。これは此処に飛行場が造成されたからで、サンワクレーンの辺りが滑走路、海知町の表記のある辺り、斜行したラインが飛行場の敷地境界の名残で、元の鎮座地が飛行場の敷地内に取り込まれたから遷座を余儀なくされたのです。
倭恩智(やまとおんち)神社昔、自分が住んでいた近くに河内国恩智神社がありました。兄弟の神社なのでしょうか。氏子さんがお掃除して下さっていました。
石灯籠の謎『倭恩智神社』・・前々から気になっていた倭恩智(やまとおむち)神社の紹介です。この神社は県道51号線(天理環状線)から少し入ったところに鳥居が立ち、正面に入母屋造、瓦葺き拝殿があり、奧には玉垣に囲まれた春日造、銅板葺の本殿が南面して鎮座します。住所は天理市海知町32、祭神は天津彦根命の14世の子孫、建凝命(タケコリ、タケゴリ)です。また、境内社として本殿の東側(右)に春日神社、西側に八幡神社、奥には稲荷神社が鎮座します。そこで素朴な疑問ですが境内にある石灯籠に「二月堂、春日神社、牛頭天王社」と刻まれる灯籠があります。そこで個人的なことですが、、特に謎めいてるのは「二月堂」と刻まれた石灯、奈良の二月堂と関係深いということでしょうか?、その他の灯籠は長い年月の間に社名が変ったと思いますが、それだけ古いお社と言うことですね。
| 名前 |
倭恩智神社 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=33720 |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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池のほとりに鎮座されている小さな神社ですが延喜式式内社です。太平洋戦争に際し、海軍は大和海軍航空隊飛行場の建設を計画、柳本町、朝和村西部、川東村東部の地を選んで工事開始、当神社はこのため海知集落北方の字ヒガシフカミから大字の南部の現位置に移動したとあります、奈良に飛行場計画があったとは知りませんでした。