三浦按針屋敷跡で歴史探訪!
史蹟 三浦按針屋敷跡の特徴
日本橋室町のビル間にひっそりとある史跡です。
三浦按針屋敷跡は安針町と呼ばれていた歴史があります。
徳川家康に仕えたイングランド人が関わった場所です。
此の地は昭和初年まで安針町(あんじん町)とよばれていた。三浦安針の名前からの由来である。❶【参考 中央区の文化財 1975年】三浦按針遺跡(みうらあんじん遺跡)ウィリアム・アダムズ。イギリス人。徳川家康に外交顧問として仕えた。徳川家康にまねかれ、日本橋ちかくに邸宅を持ち、横須賀市に領地を与えられて、造船、砲術、地理、数学等々に業績を上げる。秀忠になると、外交の通商顧問となる1564年 イギリスのケント州生まれる。オランダの東インド会社の東洋派遣隊の航海士としてリーフデ號にのる。1600年 豊後國(ぶんごの国・大分県)平戸に漂着。1620年 平戸で没した。[所在] 日本橋室町1-16
徳川家康に外交顧問として仕えたイングランド人の航海士です。サムライの称号を得た最初の外国人という人物で、与えられた領地や功績が伝わっているだけでなく、三浦按針の江戸屋敷があった日本橋の地名にも「日本橋按針町」、通りの名にも「按針通り」として、三浦按針の名前が残っています。また、元々は船大工の棟梁に弟子入りをして、造船術を身に付けた人物で、そのため、静岡の伊東市には、「按針メモリアル公園」があり、三浦按針が造船に携わった「サン・ブエナ・ベンツーラ号」を象ったモニュメントがあります。なお、三浦按針の苗字の三浦は、徳川家康により与えられた領地があった地名(三浦郡)に因んだもので、今でも、横須賀市の「塚山公園」には、「按針塚」があり、菩提寺の浄土寺やここ日本橋按針町の方により法要が行われています。しかしながら、晩年は、幕府の外交政策の変更もあり、不遇を託こつ事となり、亡くなったのは長崎の平戸です。各地で功績が残る人物ですが、「青い眼をしたサイムイ」の名前が東京の街中に大事に残されている様が、この石碑からは感じられて、とっても感激します。
| 名前 |
史蹟 三浦按針屋敷跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| HP | |
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
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日本橋室町の按針通りのビルとビルの間にひっそりと史跡三浦按針屋敷跡と刻まれた碑が建っています。三浦按針は日本に初めて来たイギリス人(イングランド人)で航海士、水先案内人でした。日本名の三浦按針は水先案内人だったことから按針の名になったといわれています。江戸時代初期に徳川家康の外交顧問及び通訳として仕え、日本で西洋式帆船を建造したり英語や航海術、砲術などの普及やさつまいもを日本に初めて伝えたことでも知られています。こうした数々の活躍もあって家康からの信頼を得て250石取りの旗本として仕えることになり日本で初めて武士として認められた外国人となりました。その後、イギリスやオランダとの国交樹立に外交顧問として係わり大きく貢献しています。最近では2024年から配信されているアメリカ合衆国のドラマシリーズでエミー賞18部門を獲得した「SHOGUN 将軍」で注目されたこともあり、ここを訪れる方も増えたようです。この碑は1930(昭和5)年に東京都史跡として碑が建てられていましたが、戦災により破損したため、1951(昭和26)年に再建されたものが現在の碑になります。