昭和のトロッコ跡を歩こう。
トロッコ展示の特徴
トロッコ後の道は広く平で歩きやすく、散策しやすい環境です。
昭和八年から昭和四三年まで活躍した三塩軌道の歴史を感じられます。
トロッコによる材木運搬が再現され、興味深い体験ができる場所です。
昭和43年までこのエリアにトロッコが走っていたとは驚き‼️ しかも塩山駅までって💦いか、説明看板の抜粋トロッコの由来このトロッコ軌道跡は、三富村と塩山駅を結ぶ三塩軌道と称し、昭和八年~昭和四三年まで、主に西沢・東沢一帯の県有林の木材搬出に活躍したものです。全長は三六キロメートルで、自然勾配をせび(ブレーキ)だけで塩山駅まで下り、登りは馬で二台づつ引き上げていましたが、昭和二〇年頃からはディーゼル機関車で六~八台を広瀬ダムの対岸にあった中土場(なかどば)まで運び、そこから奥一六キロメートルは、馬に頼っていました。木材搬出の工程は、伐採を専門とする者と、積子(つみこ)といって丸太をトロッコに積む者、及び、運材夫といって中土場まで運び、これを塩山駅まで運ぶ業務をそれぞれ分業で行なっていました。県有林からの木材搬出の合間に、民間の者も炭・薪・繭(まゆ)等の搬出、米を始め、あらゆる生活物資の搬入に、このトロッコを利用していました。これらは、軌道使用料条例によって、塩山林務事務所が発行する切符により、その荷重と距離により使用料が定まっていました。三塩軌道は、戦後の食料難等、幾多の危機を乗り越えて、昭和三七年頃まで全盛を続けていましたが、やがて国道が整備され自動車輸送に変わり、いつしか衰退し、昭和四一年、中土場~塩山駅間の軌道は撤去されました。かつては、戦前黒金山の銅鉱採掘による鉱石運搬・また鶏冠山から採掘された石(けいせき)の運搬は最後まで行なわれていましたが、昭和四三年その歴史を閉じました。
西沢渓谷の滝を見た後のこのルートは元々鉱山のトロッコだったそうで、その頃の名残りに思いを馳せる事が出来ます。物凄くハードな肉体労働だったんだろうなあ。
当時のトロッコによる材木運搬の様子が再現されており興味深いです。山奥ですが一見の価値ありです。
| 名前 |
トロッコ展示 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
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トロッコ後の道は広く平で歩きやすいのですが、谷や上を見ると危険な仕事だったことがよくわかります。沢へ落ちたら単独では上がってこられません。この展示もですが歩く時に油断しないようにしましょう。■↓この口コミが役立ったと思ったら「役に立った」を押してください。よろしくお願いしますm(_ _)m