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| 名前 |
背面地蔵尊 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.3 |
| 住所 |
|
薬王寺の境内で出会った背面(うしろむき)地蔵尊。その名前の由来は以下の通りです。昔の昔この地蔵尊は上野から奥州へ向かう旧街道の傍らに在した。その後道筋が改り、後背の箕輪町通りが新しく拓け、旧道に面していた地蔵尊が新道からはうしろ向きに見えるので、恰も此の尊称が起こったのである。昔この地蔵尊は上野から奥州へ向かう旧街道の傍らに在した。その後道筋が改り、後背の箕輪町通りが新しく拓け、旧道に面していた地蔵尊が新道からはうしろ向きに見えるので、恰も此の尊称が起こったのである。記録には、「ここに又不思議なるは御遷座の夜、主僧の夢に神人現わる。告げて曰く汝如何なれば我が面を東に向わしめたるや、そもこの寺の西辺は古陸奥への駅道なり、我はその道に臨み西に向い立ちたるなり、とありければ主僧驚きて遂に石工を招き寄せ事の仔細を語り聞かせしに、石工も夢に同じ告を蒙りたりとて、その夜のうちに御像を動かし面を西に向わし奉りぬ。さればその後参詣せし人々はその有様を見て、さても不思議なるかな昨日は東に向ひたまいしに今日は西に向はせられたりとて、その事たちまち四方に伝わり、背面地蔵の御名遠近に聞え渡りぬ」頃明和元年(1764)こうして薬王寺の背面地蔵尊は本尊薬師如来の冶眼信仰と共に毎月の縁日で賑い栄えたのであった。道路仏でもあり、延命子育てとしての地蔵信仰は今でも多くの人々に語り継がれている。道路仏でもあり、延命子育てとしての地蔵信仰は今でも多くの人々に語り継がれている。