木嶋大明神で八百万の神々に触れる。
登彌神社の特徴
富雄川沿いに位置し、郊外と田園が調和した立派な神社です。
八百万の神々が祭られ、豊かな歴史を感じられる場所です。
可愛らしいお地蔵さまも近くにあり、訪問者を和ませます。
起源は皇紀4年春2月23日、神武天皇がこの地で皇祖天神を祭祀されたのが淵源。その後、登美連が祖先である天孫饒速日命の居住地であったこの地に、命のご夫妻を奉祀したのが創建とされる。現在はその他の神も一緒に祀られているが、もともとはニギハヤヒ尊を祭っていた事が分かる。駐車場は神社手前に表示があり分かりやすい。
ニギハヤヒに関連すると聞いて千葉県からやってきました。この地がニギハヤヒの住居地だったそうで、子孫たちがニギハヤヒ夫婦を祀ったのが始まりなんだそう。雰囲気が良い神社で規模は大きくないですが、独特です。拝殿とすぐ奥に神楽殿、そしてさらに奥に2つの本殿があります。修復工事が行われたそうで、2つの本殿は極彩色に復元されていました。本殿には近づけないので登彌神社に遊びにくるときは双眼鏡や望遠レンズのカメラもあると楽しめると思います。御朱印はガラスケースに入って300円で書置きをいただきました。駐車場もあるのでアクセスは良いです。公式サイトを見ると神前式の結婚式もできるようです。ニギハヤヒ由来の神社で結婚式は素敵だなぁ。
書置き 御朱印もあります この日はなかったので お願いして新たに書いていただきました。
比較的近所にあり大変立派な神社なので、結構な頻度でお参りと写活させて頂いております。拝殿、本殿、社務所すべてが立派です。HPにも記載されているように本殿等が登録有形文化財として登録されています。
富雄川沿いの道路こそ改修されて立派ですが、郊外住宅地と里山、田園が混在する地域に、とても立派で素敵な神社だと思います。創建の由来は曖昧ですが、神武東征で功績のあった饒速日命を祀ったのだとか。延喜式内社で歴史は古いようで木島大明神や鳥見神社とも呼ばれているそうです。鳥居をくぐると参道は林の中で薄暗く空気の流れが変化し清められていく気がします。二の鳥居付近で開け拝殿が現れます。かなり大きく江戸時代頃修繕された物のようです。おそらく此の付近で『粥占い』の神事が行われるのでしょう。本殿は西本殿と東本殿が横並びになっていて結構迫力があります。左右の中央背後に背の高い木があって、おそらく御神体では無いかと思います。更に摂社も左右で合計5つあり、多くの神が祀られています。神事の内容が五穀豊穣を占うためか豊受姫命も祀られています。本当に地域で大切にされている神社だと思います。整備もしっかり行われていて綺麗ですね。ただ立派ですが奈良交通バスだけですね、本数が少なすぎます。自動車ならば専用駐車場が無料で提供されています。少し入口は分かりにくいので注意です。
石木町 富雄川東側 小高い杜の中に鎮座。さほど広くはないですが厳かな空気。
初詣はいつもここです。 気が向いた時にふらっと参拝しにきます。
よく手入れされた神社です。登美と神武天皇の関係が何か分かるかなと思い参拝しました。そもそも神武天皇と戦ったこの地の神が、敗れてから帰順し大和建国に功績があったとされている。その一族が物部氏の始祖だとか。何か納得できないような感じ。いずれにせよ、この土地が神話の時代から栄えていたことは分かった。実際に弥生時代の遺跡が多数出土しているとか。令和2年に多くの堂などが登録有形文化財になっており、文化庁の名のある真鍮のプレートがさん然と輝いている。こんなの初めて見ました。さすが式内社です。手水舎も登録有形文化財なので、コロナとはいえ水は流しておいてほしい。これは観光客の勝手な希望です。
鎮座地名を木島村と言ったようで、通称は木嶋大明神。 式内社・登彌神社に比定される古社。
| 名前 |
登彌神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0742-45-1117 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
登彌神社(とみじんじゃ)。奈良市石木町。式内社(小)、旧県社。鎮座地名を木島村と言ったようで、通称は木嶋大明神。式内社・登彌神社に比定される古社。主祭神:東本殿:高皇産霊神 誉田別命西本殿:神皇産霊神 登美饒速日命 天児屋命資料によると、由緒については、皇紀4年春2月23日、神武天皇がこの地に於いて皇祖天神(または、饒速日命)を祭祀されたのが、淵源であり、その後、登美連が祖先である饒速日命の居住地であったこの地に、命の夫妻を奉祀したのが神社の創建(注1)とされている。小宮も合わせて二十二柱の神を奉斎している。当社の神事「粥占い」が有名らしい。竹筒で小豆粥を炊き、小豆の分量でその年の豊凶を判断し、周囲の農家へ報告するもの。文化庁より、令和2年4月3日、本殿・拝殿・神饌所・手水舎・社務所が登録有形文化財に登録される。とあります。参考として、(注1)命の夫妻を奉祀したのが神社の創建とありますが、妻である登美家の女性が祭神として祀られているのが表出していません。添御県坐神社(そうのみあがたにいますじんじゃ)の宮司さんは、富雄の登彌神社の御祭神の天児屋根命は長髄彦のことだと思うと言われました。そして添御縣坐神社の武乳速命は長髄彦のことです、と、こちらは確信をもたれた表情で話してくださいました。おそらく登彌神社の名の由来は登美家にあるものであり、当地は登美家が勢力を置いていた場所であろうと思われます。なのでここに、大彦の拠点があった可能性も高いと思われます。そこへ物部族がやってきて歴史を書き換え、登美家がまるで饒速日命の子孫のような、あり得ない伝承を作り上げたと考えられます。とあります。