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| 名前 |
不動明王の碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
金沢峠近くの『金鶏金山』領域内の不動明王。天保の台座の上に建っている。近くに、「武田坑・弁天舗坑跡」や「ねこ流し水路跡」「事務所跡」「屋敷跡・人夫小屋跡」などがある。説明板の内容は以下の通り背面の碑文信濃国諏訪郡原村八ツ手願主横森槙三郎・津金治吉。明治三十一年農商務省大臣認可・金鉱採掘特許第五二五九号横森と津金は兄弟である。一説によれば津金家の先祖は甲州津金城の城主であったが、天正十年(1582年)織田信長の軍に攻められ落城し落ちのびた子孫であるという。横森は大正三年(1914年)の鹿児島県出身の渡辺清作に経営を譲り木舟の西方、舟沢の諏訪高島藩の経営した鉛山鉱山へ移った。津金は明治四十五年56歳で死亡、横森は大正九年60歳で亡くなっている。平成十一年五月吉日金沢財産区・金沢区・金沢歴史同好会。