磐之媛命の歴史探訪。
ヒシアゲ古墳の特徴
大型前方後円墳であるヒシアゲ古墳は、全長219mで圧巻です。
仁徳天皇の皇后・磐之媛命の陵墓として、歴史的に重要な場所です。
散歩コースとして楽しめ、近くのウワナベ・コナベ古墳と効率よく巡れます。
ウワナベ、コナベ古墳と近く効率良く見られました。新大宮駅からはかなり歩きます。
高校大学時代佐紀東町に住んでいましたがこんなに立派な古墳と歴史が有るとは今から改めて勉強し直しています。
デカイですが、中には入れません円筒形埴輪が何気なく有りました。
ウワナベ・コナベから少し奥まったところにある大型古墳。伝仁徳天皇皇后の磐之媛命が治定されている。この古墳の見どころはなんといってもかなり珍しい二重濠の古墳であることである。二重濠の存在が三重濠を持つ仁徳陵との関係性を何となく意味しているのかなぁ~と思ったりもする。磐之媛命は大変嫉妬心の強い女性だったらしく、それを倦んだ仁徳帝と離れる形で大和の地に葬られた?近くのコナベ・ウワナベのどちらかは愛人とされる八田皇女の墓の説もあり、なぜ百舌鳥と佐紀の地で葬る場所が違ったのか興味は尽きない。
仁徳天皇の磐之媛命の陵墓とされてますが、実際の被葬者は不明です。大豪族の葛城氏の娘で、あの仁徳天皇ですら、皇后には頭が上がらなかったそうです。逆に言えば、葛城氏の力が無かったら、天皇の地位は危うかったのかもしれないです。
被葬者:仁徳天皇皇后 磐之媛命実際の被葬者は明らかにされていませんが、第16代・仁徳天皇の皇后である磐之媛命の陵と伝えられています。築造は5世紀中葉から後半といわれ、後円部東側くびれ部相当の内堤の外法肩部分で円筒埴輪列が出土されています。拝:2020/06/25
航空自衛隊奈良基地の西側にあるのがヒシアゲ古墳。現在、磐之媛命の陵墓として宮内庁により管理されている。この辺りの古墳全般にいえるのは、江戸期から幕末、明治にかけて陵墓を治定する際、多少の混乱、矛盾があったことだろう。それは今でも続いている。特に後年の考古学的調査により築造時期が大王の在位期間と合わないケースだ。いま治定している陵墓のほとんどが正解か、間違っているのかさえわからない。里人の言い伝え、大昔よりの伝承、江戸期、幕末の書物や探索などがどれくらい正しいか。その分かる日がいつの日か来るかもしれない。
立派な前方後円墳で古墳を一周できる散歩コースになっています。ここは四人いたとされる仁徳天皇の妃、磐之媛(いわのひめ)の陵墓。かなり嫉妬深い情欲あふれた人だったようで、女好きの仁徳天皇に苦しんだそうで、最後は別居して亡くなったそうな。万葉集にもその悲恋(?)が歌われています。かくばかり 恋いつつあらずは 高山の磐根し枕きて 死なましものを。
2020.02.04訪問 佐紀古墳群の1基で、全長219mの前方後円墳。後円部径124m・高さ16.2m、前方部幅145m・高さ13.6m、3段築成で葺石・埴輪を備える。周囲は2重の濠と堤に囲まれている。内部構造、副葬品など詳細は不明。5世紀中頃~後半の築造。 仁徳天皇の皇后・磐之媛命が埋葬された陵墓として宮内庁が管理。 陵墓名・平城坂上陵(ならのさかのうえのみささぎ)。
名前 |
ヒシアゲ古墳 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0742-34-1111 |
住所 |
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HP |
http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1182152154399/index.html |
評価 |
3.7 |
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奈良県は沢山の古墳があるので、ひとつひとつ紐解いていくといろんな歴史が見れて勉強になります。