上牧町の歴史、細川忠興の城へ。
片岡城跡の特徴
畠田方向への眺望が素晴らしく、自然を楽しめます。
戦国時代の城跡で、細川忠興・興元兄弟にゆかりがあります。
急勾配の小道を登ると、歴史を感じる案内板が現れます。
結構タフな登道ですが、畠田方向への眺望は良い。
若武者時代の細川忠興・興元兄弟が武功を挙げた地。松永攻めの際、信貴山城の支城で海老名友清や森正友らの松永軍約1千兵が守る当城を、明智光秀・細川藤孝・筒井順慶らの織田軍約5千の兵が攻め、初陣して間もない兄・忠興と、この戦いが初陣の弟・興元の両名が一番槍の武功を挙げました。信長はこれを賞し、両名に直筆の感状を与えています。以前は私有地のため入れなかったようですが、現在は主郭まで入れます。主郭とその下段の曲輪がわかりやすかったです。主郭の他も回ってみたかったですが、私有地通ったり藪化していそうだったりで回れず^^;主郭は草木が生い茂っていて展望はありませんが、葛下川まで下りると信貴山がよく見え、当城と信貴山城の位置関係がよくわかります。城跡への道は軽トラ一台通るくらいの道で駐車スペースもないため車はオススメできません。
巨大な空堀跡は農地、3郭に土塁が残る。本丸と本丸周辺の帯曲輪が片岡時代のもので、大堀切や他の堀切、その他の曲輪は松永久秀時代に築城されたのではないかとされる。堀切と土塁の直線的な組み合わせ、大堀切など戦国時代末期にならなければ現れそうにない手法である。松永久秀は信貴山城、多聞山城の天守等「城名人」と言われ、また織田信長の家臣となってからは織田方の築城技術の交換が行われ、さらに複雑な曲輪の配置が実施されたと思われている。片岡城では、大堀切を改修したことで、本丸と南側曲輪を一帯となって防御することで、多様な作戦展開が可能になったと考えられている。
R25から徒歩で登城、舗装されてますが急勾配の小道を進むと案内板が表れます。私有地とのことですが主郭部まで行けそうです。
丘の上にある戦国時代の城です。一般の地権者の土地を通るので注意が必要です。通っても良いルートは掲示してくれているので助かります。また登山用の路も舗装されているので、ルールを守って行けば大丈夫です。地元の方の協力で観覧できることを念頭に登城しましょう。
まぁ何にもないっちゃー何にもない 案内の標識が唯一あった。
【細川忠興、織田軍、明智光秀、松永久秀に関連あり】同年10月には、父・幽斎(藤孝)や明智光秀らと共に、謀反を起こした松永久秀攻めに参陣します。松永久秀方の・森秀光が籠る片岡城を落城させています。弟・興元と共に一番槍の武功を挙げ、信長から直筆の感状を与えられています(信貴山城の戦い)。
もっと整備されていればいいんですが…
軽四自動車がギリギリの細い道を登り切った所に、写真の看板が出てきます駐車スペースも無く、転回するにも高度な技術が必要な狭さですので行かれる方はバイク等二輪車若しくは徒歩をお勧めしますまた城跡は私有地となっており入ることは不可能です鬱蒼とした雑木林と畑ですので、余程の城址マニアの方、歴史マニアの方しか楽しめないと思います。
| 名前 |
片岡城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
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普通自動車では民家の壁を擦りそうな細い登道を進むと行き止まり。未舗装の農道に当たります。途中の空き地でUターン出来ましたが、停車する場所もなく、道も細いのでできれば徒歩で向かったほうが無難です。行き止まりの場所に説明板があり、見渡しが良くなります。目の前に主郭の高台と空堀が現れます。ただ民有地なので、あまりうろつかないほうが良いでしょう。