衣縫塚古墳で孝女伝説を感じる。
衣縫塚古墳(允恭天皇陵陪塚ろ号)の特徴
住宅街の中にある直径20メートルの円墳です。
5世紀後半に築造とされる歴史的な古墳です。
衣縫塚の名称は孝女伝説に由来しています。
▪️土師ノ里駅から国府遺跡に向かう経路上の住宅街に埋もれるように所在します。▪️「国府衣縫塚公園」のフェンス越しに僅かに確認できるのみです。所謂、籠の鳥形墳或いは幽閉形に類型されます。
住宅街の中の円墳。児童公園の奥にあります。こんなところに古墳があるのかと疑念が湧くような小奇麗な住宅街の真ん中にぽつんと存在しています。児童公園のうさぎやゾウの遊具と共に写真に収めることができるという意味ではキャラ立った古墳なのかもしれません。
允恭天皇陵の陪塚とされています。住宅地の奥のさらに奥。手前が児童公園になっているのでなんとかみることができます。
古市古墳群に属する円墳の古墳です。現在、宮内庁に管理されているので古墳内部の立入は禁止されています。衣縫塚古墳の近くにある市野山古墳(允恭天皇陵)の陪塚と考えられていますが、住宅街の一角にひっそりとあるのでなかなか見つけづらい古墳です。なので下調べをしてから訪れるといいと思います。目印は古墳の目の前にある公園です。
衣縫塚(いぬいづか)古墳の名称は、国府地区に伝わる「孝女伝説」からきている。以下は、「国土交通省近畿地方整備局 大和川河川事務所」HPより抜粋。「市野山古墳(允恭天皇陵)前方部東側にあり、宮内庁によって允恭天皇陵の陪塚に治定されている、直径約20mの円墳。平安時代の初めに衣縫塚古墳周辺にいた、衣縫造金繼(きぬぬいのみやつこかねつぐ)の娘はたいそう親孝行で、両親が亡くなった後も嫁がずに墓守をしていたといいます。現在、潮音寺にある衣縫孝女碑は、もともとこの墳頂部にあったといわれており、そのため「衣縫塚」と呼ばれるようになったと思われます。」
名前 |
衣縫塚古墳(允恭天皇陵陪塚ろ号) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.1 |
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5世紀後半に築造されたとみられる径20メートルの円墳です。円筒埴輪、形象埴輪が出土したそうです。現在は住宅地になり住宅に囲まれていますが、昔は辺りがぶどう畑で、こちらの古墳がポツンとあり目立っていたそうです。古墳西側に児童公園があり、そちらに案内板があります、古墳の姿もこちら側からしか、ほぼ見れない感じです。允恭天皇陵の陪冢の為、墳丘への立入りはできません。