平野区の歴史、坂上田村堂に!
坂上広野麿墓の特徴
平野区という地名の由来となる歴史的な人物の墓所です。
平安朝初めの戦いで活躍した坂上田村麿の子供が眠る場所です。
800年頃の地域の治世を担った歴史的重要遺産となっています。
坂上公園にあります。そこで夏休みラジオ体操をしています。
平安朝の初め(800年頃)蝦夷との戦いに武功をたてた坂上田村麿の第2子廣野麿が朝廷から杭全庄を賜り、この地を領有した。廣野麿は嵯峨、淳和の二帝につかえ、右兵衛佐に任じられこの地に永住し、天長5年(828年)3月9日に亡くなった。また、坂上家から分かれた泥堂氏(のち井上氏)、野堂氏(のち末吉氏)、森氏(のち成安氏)、三上氏、土橋氏、辻葩氏、西村氏の七名家が、平野を分割し治め一族は平野と共に繁栄した。
説明書きが有ったんでしょうが、無くなっています。
西暦800年前後に住吉郡だった頃の平野地区を治めていて、平野区という地名の元になった人の墓所です。坂上公園の中にあります。
| 名前 |
坂上広野麿墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.1 |
| 住所 |
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征夷大将軍 坂上田村麻呂の息子のお墓が公園の真ん中にぽつりと。おそらく原型は留めていないと思われます。