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| 名前 |
将門薬師堂 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
解説看板より「将門薬師と地名由来」「将門薬師堂」は、古くから延命院(真言宗)境内にあって、所願成就、無病息災、延命長寿の願をかなえる仏として、衆生の苦悩を救ったとされている。遠く天慶の昔、非業の死を遂げた平将門の霊を弔うため、この地の祖先は、将門の守り本尊である薬師如来を勧進し、冥福を祈ったと伝えられている。昭和三十八年、火災により堂、本尊、脇仏、十二神将など焼失したが後に再建された。特に、眼病などにご利益のある仏と伝えられている。この地は、大字大国王字平といい、古代新治郡の南に位置し、第二次世界大戦中飛行場が設けられたことからも、その広さが伺い知れる。「大国玉」は、将門の父良将の所領といわれている。中ても、「平」・「中丸木」は平氏の荘園として発展、武士団の営所だったと伝えられており、「平」の地名もそこから起因しているのではないかとされている。「中丸木」は、将門の本堂を守る城冊(砦)で、物見を配し、敵の攻撃に備えた城塞「中丸城」が地名となったのではないかとされている。別説に、平安期には、朝廷の官牧から豪族の経営する私牧が盛んとなり、この一帯も軍馬の飼育、調練の場だったとされていることから、城郭の丸ではなく、「牧」の転化語で、馬の放牧と施設を意味しているとする説もある。「将門薬師堂」・「平」・「中丸木」などの呼称は、将門やこの地の豪族平真樹(将門の正妻「君の個前」の父)と深いかかわりがあると考えられる。平成十一年一月三十一日、NHK「歴史出会いの旅」で、東国武士団発祥の地ー平将門関係史跡ーとして、「御門御墓」、「将門薬師堂」、「平の地名」が放映された。平成十二年三月桜川市教育委員会。