国宝仁王門が迎える静寂。
龍泉寺の特徴
蘇我馬子が建立した歴史あるお寺で、推古朝に創建が遡ります。
国宝級の仁王門があり、落ち着ける空間が広がっています。
富田林市内の丘陵地帯にひっそりと佇む美しい場所です。
佐備川の東側の山の中腹にある高野山真言宗の寺院。推古天皇の御代、聖徳太子と蘇我馬子が勅命によって594年に建立したという大阪府内屈指の古刹。境内の奥には延喜式神名帳の河内國石川郡の項に記載のある咸古神社も鎮座する。石川郡一帯は蘇我氏本貫地の可能性もあり、馬子による開基という寺伝も、その創建時期も根拠のない話ではなく、府内屈指の古刹であることは間違いない。境内にある由緒書きを抜粋すると次のとおり。推古天皇2年(594)、聖徳太子と蘇我馬子が勅命により創建。境内にある池には悪龍が棲んでいて、馬子が呪を唱えると龍は消えていった。その後、付近は水が枯れてしまい荒廃してしまったが、弘仁14年(823)に弘法大師が来て、加持祈祷を行うと龍が再来し、水も豊かになった。そのため池には弁財天と聖天、荼枳尼天(だきにてん)を祀り、牛頭天王を鎮守とした、とある。咸古神社の御祭神は紺口県主(こむくのあがたぬし)の祖神である神八井耳命。河南町にある寛弘寺古墳群は4世紀から7世紀のもので、紺口県主と関係があるものと思われますが、果たして4キロほど離れたこの場所まで、紺口県主の支配域かは疑問。境内にある由緒案内にもあるように、元々は牛頭天王を鎮守としていて、江戸時代までは牛頭天王社だった。明治の神仏分離で牛頭天王社は式内社の咸古神社に比定され、祭神を神八井耳命に変更している。では、咸古神社はどこにあったのかというと河南町の寛弘寺だったのではないかという説がある。たしかに寺名も紺口(こむく)からきていそうだ。しかし、寛弘寺は地名としては残っているが、寺は廃絶していてわからない。この寛弘寺のすぐ南には神山という集落があり、そこには饒速日命を祀る鴨習太神社という式内社があるが、これもまた江戸時代までは天満宮と呼ばれていた神社で、明治になって鴨習太神社に比定されたもの。個人的な推測だが、神山という地名からすると、鴨習太神社の鎮座地が本来、咸古神社のあった場所ではないだろうか。
水に縁があるお寺さんの割には水が綺麗でなかった。
お正月お参りしました、
蘇我馬子の建立したと伝わる。南河内のこんな山のなかに 何でだろう庭も素晴らしいです。様式も古い。
創建は推古朝にさかのぼり、蘇我馬子によって建てられたと伝わっています。弘法大師もお越しになった所で水龍を祀る祠があります。富田林市内に住んでいますが詳しくは知らずに今回初めて知ることができました。御朱印も頂くことができました。氏子さんも少なくなって来ているのか境内の整備が追いついていないようでした。季節の花がきれいだそうで、一度ツツジの咲く季節に来てみたいです。東側への眺望はよく、温かい季節ならハイキングもいいと思います。
綺麗なお寺ですが、最たくさんの参拝客が来られたら、最綺麗なお寺になる。近くに道の駅も3か所あるし、かんぽの宿もあります。来年には温泉施設も出来る予定です。ミカン畑も近くにあります。
車で訪れました🎵が、なでか道に迷い..... ( ̄▽ ̄;) 無事にたどり着いてホッとしたのを覚えてます。御朱印を書いて頂いてる間にお参りをしました☺ありがとうございました。鳥居があり、なでか石がたくさんのってました。もしかしたら、あそこに石がのったら願い事が叶うのかな?と思ったけど(;゜∀゜)
立派なお寺だと思いますがちょっと荒れ気味ですか?
父親と母親のお寺さんすごく親切です。お墓があります。
| 名前 |
龍泉寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0721-34-3134 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 9:00~17:00 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
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いい雰囲気のお寺だと思います。もう少し、解説板や庭園等の手入れや管理をしたら、良いと思います。いいお寺で、知名度上がるといっぱい観光客来ると思います。