山本有三のお墓と風情。
三級山 天光院 近龍寺(栃木市万町)の特徴
室町時代に創建された歴史あるお寺で、応永28年(1421年)からの伝統を誇ります。
文豪・山本有三のお墓があり、文学ファンにとっての訪問スポットです。
木造建築の立派なお堂があり、田舎の風情を感じられる寺院です。
栃木県栃木市のメインストリート近くにあるお寺。境内には作家 山本有三の墓があります。
三級山天光院近龍寺は応永28年(1421年)、良懐上人が宿河原(城内町二丁目)に創建したにはじまり、当時は称念寺といった。良懐上人は芳賀郡益子町七井の浄土宗名越派の本山・円通寺を開山した良栄上人の高弟である。彼ははじめ小薬(小山市)の称念寺をひらき、ついで宿河原にこの寺をひらき、次に皆川の称念寺をひらいて、そこで没した。皆川の称念寺は現在の照光寺である。永禄6年(1563年)、川連の阿弥陀堂で大法要を営んだとき、皆川俊宗は宿河原の称念寺へも六反四畝二十六歩の土地を寄進したが、天正16年(1588年)称念寺はその土地へ移転、寺号を近龍寺と改めた。杤木町が日光例幣使街道の宿場町としてにぎわいを見せてきた寛文2年(1662年)、町は領主阿部対馬守に願って時鐘所を近龍寺に設けた。それからのち毎日明六ッ時(午前6時)から夜の九ッ時(午前0時)まで、その時の数に応じて、捨鐘3つを加えて打った。すなわち明六ッなら捨鐘3つに6つを加えるから9回鐘をつくわけである。そのためには、鐘楼堂、鐘つき役人庵、鐘つき棒も、鐘とともに必要であるが、これらは領主よりの出金と町および隣郷よりの奉加金でまかなった。明治5年(1872年)、太陰暦を太陽暦に改めることになったことにより、時刻の呼び方もかわり、それにともなって捨鐘を廃し、昼夜半分の時刻に応じつくことになった。翌年1月19日には午前6時・正午・午後6時の3回だけ時の鐘をつくようにしたいと県会に願い出たが、間もなく県庁より、午前6時と午後6時の時鐘は廃止するようにとの達しがあって、正午の鐘だけとなった。しかし第二次大戦を迎え、この由緒ある鐘も徴発されてしまった。
町のお寺って感じでした。山本有三さんのお墓も参拝。
山本有三のお墓があります。うちの父のお墓もあります。本堂とても落ち着く雰囲気ですよ。
文豪「山本有三」のお墓があります。(当たり前ですが)
実家の菩提寺です。栃木市の中では名刹の一つです。
神明宮の近くにある寺で、作家の山本有三の墓があります。
墓参りに行っただけで中は見てないので無評価としました。
立派なお堂で、住職さんも親切でした。
名前 |
三級山 天光院 近龍寺(栃木市万町) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0282-22-0802 |
住所 |
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評価 |
3.9 |
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創建は室町時代の応永28年(1421年)だそうで。元々は同じ栃木市内の別の場所にあったそうですが、栃木城を築いた折に今の地に移転したそうです。文豪の山本有三の墓所もあり、三佛堂には観音勢至両菩薩さま・聖観世音菩薩さま等が安置されております。