源義経ゆかりの松を訪れよう。
義経腰掛松(金売吉次案内の平泉下向経路地)の特徴
源義経が腰掛けた松の伝説が息づく史跡です。
古い松の枯れ株や展示が歴史を感じさせます。
国道から少し外れた静かな見学スポットで、興味を引きます。
なんだかなあ~草ぼうぼうでした。
源義経所縁の地。きちんと整備されています。
4号線から少し西へ。
源義経が奥州へ向かう際に腰掛けたとされる伝説の松。ここに腰掛ければ気分は義経に早変わり。
なー( -_・)?にもない所だけど ゆっくり時間が過ぎる空間です。
真偽のほどは別にして、きちんとした展示がされていますし、案内板もあります。燃えてしまったのが残念です。
義経ゆかりの史跡のひとつ。義経が腰掛けたとされる松は焼失したらしく、現在あるのは二代目と二代目を接ぎ木した三代目の松です。
しばらくぶりで訪れたが、古い枯れ株を保護して昔の面影を忍ぶ説明の看板が有るだけだが、歴史などに興味のある方は是非訪れて見て下さい。
これが源義経が座った松?って思うと何だか凄いです。ってことで、看板には下記のことが書かれていました。天然記念物「義経の腰掛松」(国見町大字石母田字笠松) 江戸時代の紀行文や文学作品・絵図に登場し、街道を行き来する人々が愛でた、名木「義経の腰掛松」がこの地に所在しました。 平安時代末、藤原秀衡をたより源義経が金売吉次とともに平泉へ下向する際、松に腰を掛けたとの伝説が由来として伝わります。松は、江戸時代の旅人や文人が義経一行に思いをはせる場所となり、「弁慶の硯石」・「伊達の大木戸」(阿津賀志山防塁)とともに義経ゆかりの旧跡地として名所となりました。寛政12年(1800)には、江戸の文人などにより文学碑が建立されています。 初代の「義経の腰掛松」は、幅10.5m、高さ4m程度、笠松状の優美な樹形から、天下の名松と紹介されるほどでしたが、文政4年(1821)に修験者が蜂を退治する際、誤って焼失させてしまいます。 焼失を惜しんだ当時の村人たちは福島市上名倉から美しい樹形の松を譲り受け、文政6年(1823)に移植しました。松は二代目として、平成26年(2014)3月に枯死するまで、人々に親しまれてきました。現在は、二代目松の一部を接木により育成した三代目の松が、地域の歴史とともに義経伝説を伝えてい未す。 国見町教育委員会。
名前 |
義経腰掛松(金売吉次案内の平泉下向経路地) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.6 |
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往古は枝振りの見事な松が街道を往く人々の目に止まったそうだが諸行無常也、、ですね。