上田城跡で願い玉を。
上田城 二の丸跡の特徴
上田城遺構の見事な縄張りは地形を巧みに活かしています。
散歩にぴったりな場所で、心地よい気分を味わえます。
真田神社や御朱印があり、歴史に触れる体験ができます。
城跡で散歩するには、気持ちのいい場所。特に、早朝のウォーキングは最高。今の季節、暑くもなく寒くもなく、気持ちいい風と、鳥のさえずり、木々のそよぐ音。地元の方たちしかおらず、自分のペースで過ごせます。ただ、昭和の古い施設などがあり、市立博物館を含め、再整備をしてほしいです。
ちゃ~~んと御朱印を頂けます。季節によって数種類あるようです。まだ真新しいお土産やさんもあり。のんびり過ごせる公園もある。興味のある方は数ある石碑に目を通し。桜の季節は桜。紅葉の季節は紅葉を堪能してはいかが?
これは城ではなく、門である。しかも真田の時代のものではなく、近年になって復元されたものである。しかし、上田城、といえばこの門が桜と共に写されるのが常である。なお、数百円で左手からこの内部に入ることができる。そしてそこより見ごたえあるものが、門に向かって右手の堀から延びる桜である。公園内でも特に早い時期に盛りを迎えるそれは春を真っ先に喜び唄うもので、公園を彩る正に花の中の華。三月の終わりに来るべき門。なお、ポケモンも良く出る。
上田城の縄張り(築城構想)は、地形・地勢を巧みに利用しています。上田盆地の千曲川北岸一帯は、保基谷・菅平山系や太郎山系から流れ下る神川、矢出沢川がつくった谷間にある勾配の大きな扇状地と千曲川の河岸段丘崖からなっています。とりわけ城の南端では、往時は千曲川の分流、淀ヶ淵が高低差の大きな崖の裾を洗っていました。千曲川の対岸や東側からの攻撃に対しては難攻不落の地形となっています。千曲川と神川は大外堀の役割を果たすことになるうえに、河岸段丘を攻め上る敵は、絶望的なほどに大きな損耗を被ることになるでしょう。ここに城砦を築く発想はみごとというほかはありません。もちろん、城砦構築に難しい地形なので、すぐれた土木建築技術が必要だったでしょうが。信濃国府(奈良時代)以来の歴史をもつ上田には、そういう技術があったのでしょう。加えて、上田市街は北国街道の要衝の宿場街で、その対岸にある塩田平は古代から灌漑施設が整った穀倉地帯で、養蚕・織物などの産業が発達していました。上田城がある高台は、上田宿と塩田平を見張る絶好の位置にありました。城の間際まで川が流れているのは、水運を利用した交易や軍事物資の調達にとっても格好の条件を用意しました。
小さなお城なので、見てまわるのにそれほど時間は掛かりません。城好きなら楽しめますが、それほど興味がない人は微妙かも知れません。当時とは川の位置も周辺の地形も埋め立てられて変わっているとはいえ、守る側と攻める側双方の目線で見ると、徳川の軍勢を二度も退けたとは思えない規模のお城ですが、そこが凄いところです。実戦経験のあるお城は数少ないので、お城マニアは必見ですね。
不落城という事で受験生が合格祈願に訪れる真田神社もあります。二の丸跡だけではこんなもんかと思いますが、上田市立博物館内別館のVRシアターで本丸三の丸を加えた実際の敷地跡を知ると真田の城の凄さに唸ります。徳川がこの城を恐れて本丸三の丸をぶち壊した心情がうかがいしれます。
真田家が大好きなので、念願叶って上田にきました。資料館頭もあり色々まわり楽しかったですが、昨今のアニメやキャラクター、商売染みた広告や商品がどうも自分には馴染めず好きになれません。こうった歴史ある場所は厳粛なたたずまいを貫いて欲しいのが正直なところです。
初めて、上田に来ました。柳町を歩き、ルバンでパンを食べコーヒーを飲みました。古民家を再生した街並みが、きれいです。次に、上田城址公園を歩きました。紅白の梅が咲き始め、観光客が多かったです。
お堀の深さと広さは圧巻です。櫓は現存だったかと。🌸の季節はお堀に花ビラがヒラヒラと舞い落ちて、とても風情があります。昨年春はほとんど水がありませんでしたが。お武家さま?とお姫様がが出迎えてくれます。戦国っぽいですねー😊
名前 |
上田城 二の丸跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.1 |
周辺のオススメ

願い玉にこの神社の永遠の鎮座と同じく家族の継承をお頼みしました。名前や所在を記して、落とすとコロコロと音がして、神が私個人を特定しましたよ、と囁いて、木目の細かな正目の願い玉になり、手元に戻って来ました。願い玉を置くための凹みも木目に垂直に削られ、六文銭もそのようにして刻印され、神経を使って作られています。願い事は叶います。