延享三年の彫刻美、上新田諏訪神社。
諏訪神社(上新田)の特徴
向拝や本殿の彫刻が素晴らしいと評判の神社です。
埼玉県指定有形文化財として大切にされている場所です。
創建年代は不詳ながら、由緒ある魅力が感じられます。
特別公開に行ってきました。(撮影OKSNS等にもUp🉑でした)これから修復作業にはいるそうです。
神社は大きくありませんが向拝の彫刻も本殿の彫刻も良いですね。
二度目になるが本殿の軒裏の垂木がずいぶん傷んでぬけ落ちている乾燥や地震のせいか早い補修が望まれる。
小さい神社です。
社会村神に捧げる作成不明寺は3年間延長されています。(原文)社格 村社祭神 建御名方命創建 不詳 本殿 延享三年 埼玉県指定有形文化財。
社格 村社祭神 建御名方命創建 不詳 本殿 延享三年 埼玉県指定有形文化財。
名前 |
諏訪神社(上新田) |
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ジャンル |
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住所 |
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HP |
http://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/jousetu/bunkazai/047bunka.htm |
評価 |
3.7 |
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上新田諏訪神社(かみしんでんすわじんじゃ)御祭神 建御名方命境内社 女諏訪神社 合殿(天神社・琴平社)由緒創立年代は不詳ですが、本尊は延享三年(1746)に柴田信右衛門豊忠が再建し、明治二十八年(1895)に修理したものです。拝殿は寛保二年(1742)に建立されましたが、昭和四十一年(1966)九月の台風により倒壊、直ちに改築に着工し、昭和四十二年(1967)に完工しました。末社には女諏訪神社、天神社、琴平神社があり合祀されています。大祭は毎年十月に行われ、前夜祭は、拝殿に一対の大きな御神灯(提灯)がつけられ、参道には各氏子の御神灯が並び、一斉に灯がともされ壮観そのものです。最近まで、地区内を山車が屋台囃子もにぎやかに練り歩き、神楽を奉納し、この地の無病息災を祈願しました。今も屋台囃子を永久に保存しようと努めています。(「境内案内板」より)荒川中流の右岸に広がる水田や桑畑を中心にした、のどかな田園風景の中を川に沿って東西に走る県道熊谷線は、近世には熊谷と寄居方面を結ぶ主要な交通路でした。そのため、この道に沿って多くの集落が点在しています。当神社の鎮座する上新田もその中の一つで、元来、行政上はその旧道の北側の押切新田と南側の三本新田の二つに分かれていましたが、昭和四十二年(1967)の土地改良によって、上新田として合併されました。押切新田と三本新田は、それぞれ開発に当たった本村の名を冠したもので、当神社は、押切新田の地内にあるため「風土記稿」や「郡村誌」では押切村の項に記されています。しかし、この両新田は、昔から併せて「上新田」と呼ばれ、同じ村内として考えられていたため、古来、鎮守も当村を両新田で一緒に祀るという形が採られてきました。社伝によれば、当神社は「おだいかん」の屋号を持つ柴田家の祖先である柴田信右衛門豊忠によって、延享三年(1746)に創建されたといわれ、その後、嘉永五年(1852)に再建されました。再建については棟札が現存しています。全体に精緻な彫刻が施された現在の本殿(埼玉県指定有形文化財)は、嘉永五年(1852)のもので、本殿の背面には柴田家の家紋が彫り込まれています。また「風土記稿」の「神主反町出雲持」という記事から、近世には地内の反町家が神職を務めていたことが知られています。(「埼玉の神社」参照)埼玉県指定有形文化財(建造物)「諏訪神社本殿」諏訪神社本殿は、当地の柴田信右衛門豊忠によって延享三年(1746)に創建されたと伝えられ、その後、嘉永五年(1852)に補修されました。各所に施された人物や動植物の装飾彫刻から放たれる雰囲気が際立ち、実際の規模以上の風格を感じることができます。歴史を超えて保存されてきた本殿からは、渋さの中にも芸術性が薫り立ち、江戸時代中期の熊谷地域が彫刻技術の最先端の地であったことを示す貴重な証しとなっています。(「境内案内板」より)