参勤交代の道案内、粟餅屋で再発見!
会津見送り稲荷の特徴
会津藩の参勤交代を助けた荼枳尼天への感謝の場所です。
日光街道沿いには歴史ある茶屋が多数存在しました。
名物の粟餅屋があったことでも有名です。
かつてはこの辺りの日光街道沿いには8軒程の茶屋があり、中でも「粟餅屋」は名物店として知られていました。今はありませが、往時の店を営んでいた柿沼家の庭先には、「会津見送り稲荷」が鎮座しています。以下、説明版より。江戸時代、徳川幕府が参勤交代制をとっていたころ、会津藩の武士が藩主江戸参向に先立ち、先遣隊として江戸へ書面を届けるため この街道を栗橋宿下河原まで来たところ、地水のため通行できず、街道がどこかわからずたいへん困っていると、突然白髪の老人が現れて道案内をしてくれた。お蔭で武士は無事に江戸へ着き、大事な役目をはたせた、という。また、一説には、この地で道が通行できずに大いにあせり、そのうえ大事な物を忘れたことに気がつき、困りはてたすえ、死を決意した時、この老人が現われ藩士に死を思い止まらせた、ともいわれている。のちになって、この老人は狐の化身とわかり稲荷様として祭ったものである。当時の利根川の渡川は命懸けだったでしょうね。
かなり分かりづらいとこにあります。残っているのはご近所さんのおかげかな。地域の文化財は地域できちんと活用できるようにしないと。斜めになっている道路向かいの案内板の整備。鬱蒼としている周りの木々の選定。お隣さんとの目線が合わないように木々を植える。神社らしい参道の整備。もっと魅力的になると思います。
参勤交代の会津藩が洪水の川を渡れずに途方に暮れると、荼枳尼天が道案内をしてくれたことを感謝した。
| 名前 |
会津見送り稲荷 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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解説文が参考になりました。民家のとなりにありますので、静に参拝したほうがよいです。