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法華寺は日蓮宗正法山法華寺と號すお寺です。【法華寺の概要】在所 : 行田市小見991宗派 : 日蓮宗山号 : 正法山寺号 : 法華寺開山 : 持経院日法【法華寺の縁起 】法華寺は、行田蓮華寺の旧地である当地に、明治21年堂宇を建立し法華房と称していた。昭和21年に本堂を建立、昭和47年(1973)11月10日の創立。法華寺と寺号公称をする。(日蓮宗寺院大鑑)より只、もっと古い時代は当地は真言宗薬師寺が存在していたようです。詳しくは日蓮宗妙法山蓮華寺(行田市忍)を見てください。歴史が垣間見れます。R7.2.16お寺の歴史を深く知りたくて訪ねて来ました。山門の標柱を抜けると枩木の處にうすく南無妙法蓮華経と彫られた石塔があります。此れで日蓮宗であろうことが分かります。逆光で見づらいので焦点を絞りもう一枚。本堂脇には板碑があり写真を撮りましたが、此れも年季があり読みとり難いのですが、緑色片岩を使った事から歴史は古いようです。山門枩木の處の石塔は墓石の様に見えますが、住持職の話しを伺っていると歴史的説明が記されていたようです。文字もはっきりせず読み取れないとおっしゃっていましたが、住職は以前このような話しを聞いていたそうです。鎌倉で布教をしていた日蓮聖人が佐渡に流罪となり、鎌倉幕府から赦された赦免状を持ち、日朗上人が新潟へ届ける途中で一宿を願い立ち寄ったのが当地の真言宗薬師寺。問答を繰り返し、日朗上人に寺を明け渡す事と成る。※[蓮華寺の投稿では※感銘を受けた住職が日朗上人に寺を寄進の説明があるが、その出処の資料は綺麗な表現にまとめたと感じた。そう云えばどこかで問答をし、その問答に負けてしまった住職は勝者に寺を明け渡す類いの話しを読んだ記憶があった]以降、日蓮宗の教えが当地で布教されたことでしょう。時は経ち、忍城当主の松平忠吉に依り鬼門の北谷(行田忍)に寺を遷す事に成る。(小見日蓮宗の寺が忍日蓮宗場所へ引越し)日蓮宗の法華房か遷り行き場所の無い檀家は、少し離れた東隣りの真観寺(新義真言宗)の檀家となったと住職さんが聞いたそうです。日蓮宗から真言宗のお寺に宗旨が替わることで、位牌はどうしたのか疑問が湧き、そこを尋ねると戒名を替えたようです。石碑の文字が読めない今、ネットによる情報に頼ざるを得ないが、皆さんご承知のとおりの史実が記されていたそうです。只ネット資料だけでは詳細が判らない部分については、活きた情報収集が必要と思い當山を訪ねた次第です。御逝去はされたものの歴史を伝える御仁がいた事は住職にとっても私にとっても、資料に残されていない事が明らかになることに醍醐味を覚えずにはいられない。当初、真言宗薬師寺の寺だったと資料では謳っているが、その寺は古義なのか新義なのか宗旨も判らず、宗派も判らずが法華寺を訪ねる一番の理由であったが、住職さんも分からないそうです。只、住職さんとの会話の中で、檀家が移った事を考え併せると、当初のお寺が真観寺(新義真言宗智真山派)と同じ宗旨宗派とは考え難いことから自信は無いが、古義真言宗のお寺であっただろうと推察する。熊谷市上須戸の※福川沿いには(もっと上流方面のあじさい寺付近も)古義真言宗(高野山真言宗)が点在している。このような事実を考えると、昔の川筋が当地の近くにあったとしても、何ら不思議では無いのかな? なのでこの切り口で推察したら真言宗薬師寺とは古義真言宗のお寺だったかも知れない。飽くまで推察であるが。どなたか真実を知っていらしたら、ご教授のほど申し上げるしだいです。尚、宗祖日蓮大聖人が生まれた日が、1222年2月16日だと住職から聞かされました。そのような日に私をいざなってくれたであろう日蓮大聖人。此れもまた何かの縁であるのだろうか???決して帰依をしている訳では無いのですが。長文ご拝読を感謝いたします。盲木浮木 合掌🙏 R7.2.17参詣。