南北朝時代の堀の名残。
綾井城跡の特徴
南北朝時代の歴史が感じられる、綺麗なお寺の城跡です。
小説『村上海賊の娘』に登場した沼間義清の居城跡です。
応仁の乱時の沼間氏によって築かれた貴重な城址です。
綾井城は鎌倉時代後期の築城で南北朝時代には田代顕綱の居城であった。顕綱は足利直義方に属し活躍。のち足利尊氏に帰順する。その後は岸和田城主和田義明の弟、綾井伝内の居城だったとされています。戦国時代、和泉国の国人・沼間清成の居城として知られています。清成の嫡男・沼間義清は織田信長に臣従して、1576年(天正4年)に「木津川口の合戦」で織田軍と毛利水軍との合戦で討死した。その後は義清の嫡男である沼間清興が城主となりましたが、戦乱で焼失して廃城となったようです。天文十三年(一五四四)、その城跡に建立されたのが専稱寺(せんしょうじ)(正式名は専稱教寺)です。専稱寺 にまつわる伝説(戴いた資料丸写し)戦国時代に綾井城が戦火に見舞われた際、城主は近くの大雑寺に逃げましたが、寺にも火が広がり、ご本尊の阿弥陀如来が焼かれようとした時、家来の一人が阿陀如来を背負って寺を脱出。綾井城の辺りまで逃げましたが、敵に囲まれ阿弥陀如来とともに城の際に身を投げて亡くなりました。時が経ち、近くに庵を結んでいた玄誉上人の夢の中で阿弥陀如来のお告げがありました。翌日村の人々と綾井城の濠を探すと、黄金の仏像が見つかりました。その後、玄誉上人と村人が協力して城跡に手を建立し、阿弥陀如来を祀りました。それが現在の専稱寺(正式名は専稱教寺)であると言われています。山門の前に濠があります。大阪城フェスで、こちらの城址があることを知りました(*^^*)若いイケイケのお坊さんも親切でした。こちらのお寺で御城印いただけます!
住宅街の中の大きなお寺の東側に堀の雰囲気が残っています。お寺の名前が城蹟山というのが分かりやすくていいですね!
高石市で、5年近く住んでいて、何回か、お寺の前を通っているのに、南北朝時代は、城であった事を、最近知りました❗中に入ったのも初めてで、寺内は、大変綺麗で、そてつが、全体が、素晴らしい‼️
堀跡の他、本堂裏墓地周囲より一段低く堀の名残を留める。
特にせつめいもなく、濠だけありましたが何かは不明です。
小説『村上海賊の娘』に登城する沼間義清の居城跡です。現在は専称寺というお寺になっています。駐車場あります。
応仁の乱のころ和泉国の国人、沼間氏によって築城された綾井城址です。現在は本丸と推定される場所が専稱寺となっております。周囲の堀が当時の遺構と推定されます。かろうじて本堂の位置と堀の位置で城址であると感じられます。中は戦国期江戸期の遺構は特になく墓場には日清日露~大東亜戦争までの出征兵士たちの鎮魂の場となっており、そちらは別の意味で一見の価値があります。
現在はお寺になってますf(^^;。
城址碑のみありました。付近にお掘がありましたが遺構かどうかは不明です。
| 名前 |
綾井城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
ご城印🏯ゲット‼️【せんしゅう寺】にて頂きました。とてもご親切にして頂きありがとうございました。駐車場広いです🅿️