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| 名前 |
藤ノ木御旧跡 (榎御坊) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
|
鎌倉時代初期の1214年、浄土真宗の開祖である親鸞が流罪となり京都から越後府中(上越市直江津)に滞在してましたが、流罪をとかれ常陸国(茨城県)へいく途中に北信濃の藤ノ木(飯山市藤ノ木)をおとずれました。高井郡井上(須坂市井上)の領主・井上善勝は親鸞に帰依し「善性」と改名し出家しました。下総国葛飾郡磯部(茨城県古河市磯部)に善性は勝願寺(真宗大谷派)を建立しました。善性はこの藤ノ木に来て親鸞の教えを広めました。室町時代中期の1447年、本願寺八世宗主の蓮如はこの藤ノ木の旧跡を訪れたときに堂前に一本の榎を植えました。以降、16世紀の戦国時代までに北信濃から越後国(新潟県)まで浄土真宗本願寺教団の門徒が増えました。20:世紀前半の大正時代まで参詣者が訪れ、飯山市の商人が門前市を開いたほどでした。この藤ノ木は信越地方の浄土真宗の布教の拠点となった場所でもあります。