余市宗隆を探る新たな物語。
| 名前 |
大頭竜神社 |
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| ジャンル |
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| HP |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya\u003d75109 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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貞信卿より七代、須藤(那須)太郎資隆は、息子が十二人いたが、十一男余市宗隆が母の胎内にいた時に、二十四ヵ月過ぎたのに、誕生しない。八幡の神前に御湯を奉ったところ、御神託があり、大槲村八竜神の祟りがあって、資隆が参内して、八竜神を改めて大頭竜権現と宝号すれば、平産なるべし、とお告げがあったので、資隆は急いで上洛し、吉田兼義に申して、宝号を賜り、急ぎ帰国したところ、北の方が平産していた。角田八郎、初めて生湯を奉り、那須与一宗隆と名付けた。(「那須記~巻の一~大槲大頭竜権現の事)参道入口に、昭和十二年(1937)八月一日、刻の、馬力神。文政十三年(1830)、刻のした大黒天。馬頭觀音。が左側にかたまっている。砂利の参道を進むと、昭和三十三年(1958)旧九月二十九日、刻の、石鳥居(石工 野田清)。昭和三年(1928)十一月十日、御大典記念、刻の、御神燈一対。拝殿に向かって左側に、木の祠が十一宇あり、歴史の古さを感じさせてくれる。