噴水と鯉が彩る、長閑な公園。
壬生城 本丸跡の特徴
落ち着いた雰囲気の中、鯉が泳ぐ堀でリラックスできる公園です。
本丸跡は江戸時代の歴史を感じられる貴重な場所です。
石畳のある公園で、散策やゆったり過ごすにもぴったりです。
本丸跡には公園の石畳。
本丸跡は噴水になってますが、堀のなかには鯉も泳いでいて長閑な雰囲気がとてもいいです。資料館も見学しました。
2021年10月11日(月)に壬生町の街歩きで訪れた。▼▲▼以下は案内板の内容▼▲▼●壬生城本丸址壬生城は室町時代のなかば、文明年間(一四六九八六)に壬生綱重によって築かれたといわれています。各地の大名が勢力を競っていた戦国の世にあって、約100年もの間、壬生氏の主要な城となっていました。しかし、壬生氏は小田原城の北条氏に味方していたために、 天正18年(1590) 豊臣秀吉の小田原攻めにより、北条氏とともに亡びました。慶長6年(1601)からの110年間は、日根野氏(一万石)・阿部氏(二万五千石)・三浦氏(二万石)・松平氏(四万二千石)加藤氏(二万五千石)というようにたびたび城主が替わりました。そして、正徳2年(1712) 鳥居忠英が近江国水口から移ってからは、明治維新を迎えるまでの約160年間、鳥居氏(三万石)が代々城主となりました。江戸時代の記録によると、壬生城は本丸・二の丸・三の丸・東郭・下台郭・正念寺郭の六つの郭からなり、これらの郭は土塁と堀で囲まれていました。また天守や櫓といった建物は建てられていませんでした。本丸は約140m四方の大きさで、南と北に門があり、土塁の上には塀がめぐっていました。また、本丸内部には御殿があり、江戸時代の初めには将軍の日光社参の宿舎として使われました。現在、本丸址もその南側を残すのみとなりましたが平成元年に城址公園として整備され、県内に残る数少ない近世城郭の一つとなっています。平成2年3月壬生町教育委員会。
江戸時代には、日光に参拝した将軍が帰りに本丸に泊まったそうです。今は町の施設がたくさん建っています。
説明書きが無ければ、ここが壬生城があった場所だなんて誰も思わない感じの場所です。壬生城本丸址壬生城は室町時代のなかば、文明年間 (1469~86)に壬生綱重によって築かれたといわれています。各地の大名が努力を競っていた戦国の世にあって、約100年もの間、壬生氏の主要な城となっていました。しかし、壬生氏は小田原城の北条氏に味方していたために、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めにより、北条氏とともに亡びました。慶長6年(1601)からの110年間は、日根野氏(1万石)・阿部氏(11万5000石) ・三浦氏(2万石) ・松平氏(4万2000石)・加藤氏(2万5000石)というようにたびたび城主が替わりました そして、正徳2年(1712)鳥居忠英が近江国水口から移ってからは、明治維新を迎えるまでの約160年間、鳥居氏(3万石)が代々城主となリました。江戸時代の記録によると、壬生城は本丸・二の丸・三の丸・東郭・下台郭・正念寺郭の六つの郭からなり、これらの郭は土塁と堀で囲まれていました。また天守や櫓といった建物は建てられていませんでした。本丸は約140m四方の大きさで、南と北に門があり、土塁の上には塀がめぐっていました。また、本丸内部には御殿があり、江戸時代の初めには将軍の日光社参の宿舎として使われました。現在、本丸址もその南側を残すのみとなりましたが平成元年に城址公園として整備され、県内に残る数少ない近世城郭の一つとなっています。平成2年3月 壬生町教育委員会。
| 名前 |
壬生城 本丸跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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なんか、落ち着く公園😌