金鑚神社で歴史と自然を満喫。
金鑚神社(入浅見)の特徴
金鑚神社は武蔵七党の阿佐美氏の本貫地に位置します。
参道の鳥居前には一台分の駐車スペースがあります。
裏山や川沿いにハイキングコースがあり自然豊かです。
金鑚神社(入浅見)かなさなじんじゃ・所在地埼玉県本庄市児玉町入浅見899・ご祭神素盞嗚尊・社 格旧入浅見村鎮守・旧村社・例 祭春祭り 4月3日秋祭り 10月14日新嘗祭 12月10日「金鑚神社」は埼玉県本庄市に位置し、歴史的に武蔵七党の阿佐美(浅見)氏の本貫地とされています。境内には本庄市内では最大規模の古墳が存在し、昭和に現在の位置に改められました。社の由緒は阿佐美右衛門尉実高による勧請に始まり、1576年に社殿が改造され、1716~36年に正一位の神階を授けられたことが『児玉郡誌』に記されています。江戸時代には真言宗の観音寺が別当でしたが神仏分離で廃寺となり、現在もその名残があります。明治には村社となり、他の神社が合祀され、祭神は素盞嗚命です。“入浅見”は元々“下浅見”と一村でしたが、戦国時代以降に分村。浅見は「阿佐美」とも書かれ、武蔵国児玉郡入浅見村(埼玉県本庄市児玉町入浅見)発祥。初めて文書に登場するのは1577年の「北条氏邦朱印状」において、既に二つの村として記載されているそうです。古代末期に児玉郡内に武蔵武士の前身となる児玉党などの武士集団が形成され、その中に阿佐美氏(浅見)が含まれます。阿佐美(浅見)氏の支配領域は児玉庄であり、この庄の条里水田は国衙領であるため、直接的には児玉党の所領ではありませんでしたが、入浅見の谷戸田地域は国衙領に含まれず、児玉党が独自に開発した地域であり、これが地盤となり、荘園内外での所領拡張に寄与したと考えられます。また、この入浅見地域は児玉党にとって重要な開発拠点であったと推測されます。
裏山や川沿いのハイキングコースもある自然豊かな神社です。おみくじや様々な方法で神々様からメッセージを頂ける有難い神社です。心して参拝致しましょう。
鳥居の前の参道に一台部の駐車スペースがありました。
旧村社格。児玉党阿佐美氏由来。社殿は古墳上に鎮座。
| 名前 |
金鑚神社(入浅見) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
探しても探しても場所が分からない。鬱蒼とした木立の中に埋もれている鳥居をようやく発見したのは、近くの人家で参道を教えて貰ってからだった。境内に妖しい雰囲気が漂っているワケは、社殿の手前に奇々怪々な枝ぶりのスダジイの大木が聳え立つているせいだろう。