小笠原氏の歴史に触れる。
林小城跡の特徴
林小城跡は大嵩崎からの登り口が特徴的です。
1460年までに作られた中世の山城です。
小笠原氏の居城で深志神社とも関係があります。
山城名:林小城跡(780m/180m)別名:福山城文化財指定:県指定史跡遺構:石垣,土塁,郭,堀城主:府中小笠原氏林小城の説明1460年までにできた北の林城と前後してできた中世戦時用の山城。武田信玄に滅ぼされた信濃国府守護大名小笠原氏の本拠がこの山麓にあった。石垣と曲輪の複雑な縄張りは、武田支配より後織田豊臣期の普請。指定内容林小城は、里山辺林集落東側の尾根上に位置し、東側に大嵩崎集落をはさんで、林大城と相対している。北側の山裾を流れる薄川は防備の役目を果たしており、信濃国守護小笠原氏の本城にふさわしい構えである。林城の築城は「小笠原氏系図」によれば小笠原清宗の時代に築かれ、井川館から移ったものといわれている。林小城は古城ともいわれるので、大城より古いと考えられてきたが、最近の研究では小城の中心部の縄張が複雑であることからも、大城よりも後に築城されたと推測されている。小城の主郭を取り巻く石垣や縄張などは、山家城や桐原城との共通性が高い。天文19年(1550年7月5日)に、武田氏の攻撃を受けて大城と共に自落した。松本の中世における深い歴史を秘めたこれらの遺構は、貴重な文化財として現在も大切にされている。平成20年3月 松本市教育委員会。
小笠原氏の城跡で近くにある深志神社とも関係が深いです。長野県史跡に指定されています。林小城は、里山辺林集落東側の尾根上に位置し、東側に大嵩崎集落をはさんで、林大城と相対している。北側の山裾を流れる薄川は防備の役目を果たしており、信濃国守護小笠原氏の本城にふさわしい構えである。林城の築城は「小笠原氏系図」によれば小笠原清宗の時代に築かれ、井川館から移ったものといわれている。林小城は古城ともいわれるので、大城より古いと考えられてきたが、最近の研究では小城の中心部の縄張が複雑であることからも、大城よりも後に築城されたと推測されている。小城の主郭を取り巻く石垣や縄張などは、山家城や桐原城との共通性が高い。天文一九(一五五〇)年七月五日に武田氏の攻撃を受けて大城と共に自落した。松本市教育委員会。
小笠原氏の居城、登城口から30分で本郭。竪堀と石垣、堀切は見応えあり、山城の遺構が素晴らしい。駐車場は針塚古墳に駐車し登城口まで徒歩20分。大城と合わせての散策が良い。
| 名前 |
林小城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
大嵩崎、廣澤寺側の2つの登り口がありましたが、僕は大嵩崎の方から登りました!大嵩崎の方から登ると地獄の釜を見て登っていくことができます!途中にベンチなどがありました!登っていくと倒木が道を遮ってしまっていて迂回して登っていきました!林大城よりも整備が行き渡っていない感じでした!主郭に着くと立派な石垣がありました✨️登ったかいがあるなと思いました!また、主郭からの景色は良く王ヶ頭を見ることができました!是非、林大城からすぐに行けるので是非行ってみてください!