反正天皇陵の可愛らしい陪塚。
鈴山古墳の特徴
反正天皇の陪塚で、方墳としての特徴が際立つ。
美しく保存された墳丘が訪れる人を魅了する。
地下へ繋がる雰囲気を感じさせる神秘的な場所。
反正天皇の陪塚。何処もだが 宮内庁が管理する御陵や陪塚は、金網柵が巡らされていて立入禁止となっている。
いい感じの可愛らしい陪冢です。昔は反正陵の外堀が付近にあったみたいです。整備もされていますし、陪冢の説明板も建てられています。
無残やな!籠の鳥状態の古墳です。抜け雀にでもなれればと・・・。
一軒家の回りに、囲まれた鈴山古墳。天王古墳から、北に150mほどに、あり天王古墳より結構、大きめです。憤丘は、大きな木が、あり周りには、雑草か、生えてます。前方後円憤だと思います。
反正天皇陵の陪塚。間近でみられますし、手入れもされています。
最初に見た時タダの盛土と思ってました。それくらいの古墳です。
なんとなく地下へと繋がっていそうな雰囲気がありました。
一辺22m程の方墳、反正天皇陵の陪塚。目立たないがきれいに手入れされた古墳。以下、解説板より。「北三国ヶ丘遺跡は、この鈴山古墳の北側に広がります。室町時代の溝、墓、石敷遺構などが調査され、この辺りにあった向井神社に関係する遺構かと考えられます。鈴山古墳は近くの天王古墳とともに西側にある田出井山古墳(反正天皇陵古墳)の倍塚と考えられ、一辺16m、高さ3mの古墳で、幅5mの一重の濠に囲まれていたと推定されます。田井出山古墳は、百舌鳥古墳群の中では、7番目の規模の前方後円墳で群中もっとも北に位置し、全長148m、後円部径76m、後円部高さ14m、前方部幅110m、前方部高さ15m、現状では一重の水濠に囲まれています。昭和55年61年の2回の発掘調査によって、現状の濠の外周にも濠があったことが分かりました。その幅12m、深さ1mをはかります。百舌鳥古墳群は4世紀末から5世紀初めに乳の岡古墳が構築されたのがはじまりと考えられますが、田出井山古墳は前方部が高く、その幅の広い形状から、或いは出土した埴輪・土器から5世紀のおわり頃に築造されたと考えられます。」
方墳で反正天皇陵の陪塚として宮内庁に管理されているこの鈴山古墳は柵で周りを囲まれているため立ち入ることはできません。
名前 |
鈴山古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.2 |
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墳丘は改変されているものの、比較的綺麗な保存状態だと思う。