住吉高灯籠と懐かしの遊び場。
住吉高灯籠跡の特徴
住吉高灯籠の顕彰碑は、往年の灯台の跡を示しています。
かつてはたかどーろの大きな石垣が残っていました。
昭和25年のジェーン台風で倒壊し、移設された歴史的スポットです。
私の子供の頃、この場所には「たかどーろ」の大きな石垣の土台部分が残っており、その上まで登って遊んだことを懐かしく思います。
濱口村と呼ばれていた頃迄は 此処に高灯籠が建っていた‼今は住宅の自転車置き場。
今は石碑しかないけれど、今は200mほど東に建てられているけれど、元はここに建っていました。日本最古の灯台といわれております。ちょっと見つけにくいけれど、青いシャッターが目印かな。
昭和25年のジェーン台風で倒壊して、現在の場所に移設された跡地。当時は、コンクリートか木造かで揉めたようだが財政不足からコンクリートになったと聞いた事がある。2018年の台風21号では住吉公園の木々がなぎ倒され、バス停の屋根も吹っ飛んだ。自然災害の多い日本では安全面を考えると鉄筋コンクリート製が良いのではと思った。
わが国最初の灯台として、鎌倉時代末の創建というが不詳。もとは、現地から西約200mのところ(顕彰碑が立っている)にあったが、台風で倒壊したり道路工事で撤去されるなどで当地へ移築された。当時は海岸近くにあたり、点灯すると十分灯台の役目を果たしたという。
昔の大阪の海岸この辺であった言ってみれば標識、灯台みたいなとこれろ堺の博物館にいってみて。
名前 |
住吉高灯籠跡 |
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ジャンル |
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住所 |
〒559-0006 大阪府大阪市住之江区浜口西1丁目6−12 |
評価 |
3.5 |
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この顕彰碑でいう住吉(すみのえ)高灯籠は、復元された今は、住吉公園の西側入口の対面、国道26号北行きに面したところにまで移動しています。ここには、石碑が肩の狭そうな感じで住居際に立っているだけです。高灯籠について、大阪市曰く「わが国最初の灯台として、鎌倉時代末の創建というが不詳。当時は海岸近くにあたり、点灯すると十分灯台の役目を果たしたという。」。ここに住吉津に入る船の灯台があったということは、昔の海岸線はかなり内陸に寄ったところだったということです。