五十音発祥の地、山代温泉!
五十音図記念碑の特徴
山代温泉で唯一の五十音図記念碑が見られます。
明覚上人が考案した五十音が誕生した場所です。
史跡ならではの特異な歴史を体験できます。
明覚上人がこの地で隠居した際に50音を考案したそうなのでこの場所が発祥の地となります。そのことを表した記念碑です。
五十音図は山代温泉で作られたそうです。知らなかった~~
| 名前 |
五十音図記念碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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山代温泉には「五十音図記念碑」という、一風変わった史跡が建っている。ここは単なる観光スポットではなく、実は日本語の基本「あいうえお」、つまり五十音図が生まれた場所として知られている。この五十音図を考案したのは平安時代の高僧・明覚上人(みょうかくしょうにん)。彼は天喜4年(1056年)に生まれ、若い頃は天台宗の本山である比叡山延暦寺で修行を積んだ。特にインド由来の梵字、いわゆるサンスクリット語を熱心に研究し、中国語や漢字音にも精通した学者タイプの僧だったという。その明覚が晩年、山代温泉にある薬王院温泉寺(やくおういんおんせんじ)に住職として赴任したのがすべての始まりだった。明覚はこの寺で「悉曇学(しったんがく)」という梵字研究を行いながら、日本語の音韻について徹底的に追究を始める。そして、寛治7年(1093年)に『反音作法(はんおんさほう)』という著作の中で、初めて日本語の五十音図を体系的に示した。これは現存する最古の五十音図であり、現在われわれが日常的に使っている「あいうえお」の原型になったものだという。彼が作った音図はそれまでバラバラだった日本語の音を母音と子音の規則的な並びに整理し、言語としての日本語を明確に整理・可視化した画期的なものだった。明覚は他にも、『悉曇大底(しったんたいち)』『悉曇要訣(しったんようけつ)』などの専門的な書物を数多く残しており、特に『悉曇要訣』は日本語の音韻体系を考える上で極めて重要な文献として、現在の言語学者からも評価が高い。当時の学僧たちの中でも明覚は別格であり、彼のもとには全国から多くの弟子や学者が集まったという話も残っている。さて、そんな明覚上人の偉業を顕彰しようと、令和3年(2021年)に地元の山代温泉観光協会が中心となって薬王院温泉寺の山門前に作ったのが、この「五十音図記念碑(あいうえおの郷)」というわけだ。この碑には明覚が作った五十音図が大きく刻まれていて、現在では観光客だけでなく日本語を研究する人や仏教徒の巡礼者たちも訪れる場所になっている。またこの年、「五十音図」をさらに多くの人に知ってもらおうと、地元では5月10日を「五十音図・あいうえおの日」として日本記念日協会に正式登録した。5月10日は「五十(5・10)音」にちなんでいるのはもちろん、明覚上人が亡くなった月命日が毎月10日だったという縁もあるらしい。地元では記念日に合わせて日本語に関するイベントや、親しみやすいコンテストが開かれるなど、「五十音図発祥の地」としてのPR活動も積極的に行っている。実は五十音図は、単なる文字の並びというだけではなく、その後の日本語教育や仏教文化に大きな影響を与えてきたものだ。例えば江戸時代以降、寺子屋などで子どもたちが「あいうえお」を覚えるための教育教材として広く使われたし、明治時代に入っても日本語教育の基本として教科書や教材に載り続けてきた。そればかりか、平安時代以降、サンスクリット語研究に由来する日本の密教の僧侶たちの研究にも影響を与え、五十音図という日本語の仕組みを通じて日本語の音韻研究が深まっていった。国語学の発展にも大きな影響を及ぼしたのだから、その意義は実に大きい。山代温泉は明覚上人の影響で、温泉文化と仏教文化が交わる独特の土地となった。薬王院温泉寺の境内裏には「萬松園(ばんしょうえん)」という森が広がり、その中を通る「あいうえおの小径」には、五十音図の仮名が一文字ずつ描かれた陶板が並んでいて、五十音を辿りながら散策を楽しむこともできる。その道を登って行くと、森の奥には明覚上人を偲んで建てられた「五輪塔(ごりんとう)」という石塔もあり、明覚が日本語に残した功績を静かに伝え続けている。また、山代温泉周辺には、文人・泉鏡花や美食家・北大路魯山人など、多くの文化人が訪れた場所としても知られている。特に魯山人が住んだ「いろは草庵」も近くにあり、仮名文化を愛した魯山人と明覚の「あいうえお」が、不思議な文化的つながりを持っているように感じられる。単なる温泉地としてだけでなく、文化と歴史が融合するスポットとして、山代温泉の「五十音図記念碑」は非常に興味深い存在だ。特に日本語のルーツや仏教史に興味がある人にとっては、深く味わいのある訪問地になるだろう。明覚上人が遺した「あいうえお」を通じて、日本語という言語の奥深さを改めて感じられる場所だと言える。少しでも日本語に興味があれば、訪れる価値は十分ある。