スポンサードリンク
スポンサードリンク
名前 |
大聖寺城主供養塔 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
5.0 |
関ヶ原の合戦で豊臣側につき、後に加賀藩主となる前田利家の長男 前田利長に攻め滅ぼされた山口玄蕃宗永公の供養塔です。静かな山中で、戦国の世を生きた武将たちに心を寄せるのもまた一興かもしれません。立て看板の説明書きを転載します。大聖寺城主山口玄蕃頭宗永(げんばのかみむねなが)公同 右京修弘(ながひろ)供養塔関ヶ原の戦において、西軍(豊臣家)方につき、八百余名の軍勢にて、東軍(徳川家康)方の前田利長二万五千余名の大軍と戦い慶長五年七月十八日大聖寺にて討死する。当山第十五世仙明上人(正保元年)によって供養塔が建立されたが、前田侯 (大聖寺藩主)に遠慮して、後方の谷間 (現保育所)に建てられたが、終戦後現在地に移された。