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名前 |
北中家住宅主屋 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
北中家住宅主屋(きたなかけじゅうたくしゅおく)は、江戸時代末期(1830年~1867年頃)に建てられた、金沢市泉町に残る歴史的な町家だ。北国街道沿いに位置し、もともとは味噌や醤油の醸造・販売を営んでいた商家である。2004年(平成16年)に登録有形文化財に指定され、今も当時のままの貴重な姿を残している。建物は木造2階建ての瓦葺きで、間口・奥行きともに9間ほどの立派な構えだ。通りに面する正面はほぼ全面に格子戸があり、金沢の町家特有の上品で控えめな意匠が際立つ。また、2階の両端には袖壁が付き、外観に落ち着いた印象を与えているのも特徴のひとつだ。木部には弁柄漆(べんがらうるし)が施され、内外壁には色土壁が使われているなど、細部に至るまで質の高い仕上げが見られる。さらに1階の南東隅には「座敷蔵」が組み込まれており、町家建築の中でも特に保存状態が良く、完成度の高い建物と言えるだろう。北中家が面する北国街道は、かつて金沢の城下町を南北に貫く重要な幹線道路であった。江戸時代、この街道沿いには多くの商家や宿場が立ち並び、藩主や旅人たちも行き交った活気のある場所だった。特に泉町はその街道筋の重要拠点の一つで、街道沿いに家々が発達し、町として栄えていったという背景がある。そのような立地環境もあり、北中家は味噌や醤油などの特産品の製造・販売を通して、地域の商業と経済活動の一翼を担っていた。また、大正時代(1912年~1925年頃)には建物に増改築が加えられ、現代に至る町家の姿が完成した。歴史的に見ても、町家建築が江戸期から明治、大正へと変遷していく中で、その時代ごとの要素を巧みに取り込みながら受け継がれてきたのが、この建物の魅力だと思う。現在の所有者は、金沢市の老舗和菓子店「甘納豆かわむら」である。もともとの醤油・味噌の醸造業という商売柄からか、現在の菓子店としての利用は、建物の保存活用という視点でも相性が良いと感じる。建物そのものが持つ、江戸期から受け継がれた商家としての風格と佇まいが、訪れる者を惹きつけるのだろう。さらに、この北中家住宅主屋のすぐ近くには、泉町の由緒ある神社である国造神社(こくぞうじんじゃ)がある。国造神社は751年(天平勝平3年)の創建と伝えられる古社で、かつて前田利家をはじめとした加賀藩主の篤い崇敬を受けてきた神社でもある。こうした地域の歴史的なつながりを考えると、北中家住宅主屋がただの古い建物というだけでなく、町や神社を含む歴史的景観の中で、重要な役割を果たしてきた存在だということが実感できる。泉町の街並みを歩けば、今もなお旧北国街道の石碑や道標などが残り、かつての賑わいの様子を静かに伝えている。北中家住宅主屋の佇まいを見ると、この街道を藩主や商人たちが行き交い、味噌や醤油の香りが漂っていたであろう江戸から大正期の情景が自然と浮かんでくるようだ。現在ではこうした古い町家をきちんと維持し、活用している例は少なくなっているだけに、このような保存の取り組みは、地元はもちろん、金沢という町全体にとっても意義深いものに違いない。金沢には寺町台や東山、武家屋敷群といった歴史的景観が数多くあるが、北中家住宅主屋の存在は、こうした著名な史跡と比べても決して見劣りしない。むしろ、金沢の歴史を深く知る上で欠かせない存在だ。藩政期以来続く歴史的な景観が今なお残されていることの貴重さを、この建物は静かに、しかし雄弁に語っているように思える。北中家住宅主屋が伝える、江戸時代から続く商家としての町家建築の魅力と価値、そして地域の歴史的文脈における重要性を再認識できる場所だ。派手さはないが、歴史の重みがしっかりと詰まっている。これからも大切に守られていくことを願うばかりだ。