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| 名前 |
鹿島神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
御祭神は武甕槌命。承和3(836)年、圓仁法師が唐への渡海の安全を鹿嶋の明神に祈願したところ、鹿嶋神現然し曰く。戌亥(西北)の方角に霊地あって我が末裔の太殿居士が住む。そこに我が社檀と鎮座するように、とのお告げであった。圓仁が頂戴した御弊に祈念していたところ、御弊は虚空を飛んでまず着いた場所が水浜の地。圓仁がその地に鎮斎したのが高浜本宮大明神(高浜神社:石岡市高浜)である。しかし御弊は留まらずまた飛び立って二度目に着いた地がここ、太田邑。鶏皮鶴髪の老爺が現れ、自分は太殿居士と申し、始祖は征韓の折に鹿嶋明神と神功皇后の間に生まれた子であると云う。圓仁は随喜の念を抱いて新たな社を建立し「大乗神宮」と尊称したのが当社のはじまりである。元禄14(1701)年、字岩の目より現在地に遷宮。明治15年村社列格。なかなかすごい御由緒ですが、承和3年は圓仁の第一回目の渡航が失敗した年。同5年に三回目のチャレンジで成功して最後の遣唐使として唐に渡り、大冒険を繰り広げる圓仁法師の名が出てくるとは驚きです。太田集落田園都市センターの左脇の奥に鳥居があり、石段を登るとプレハブの拝殿があり、裏手には朱の幅広の見事な御本殿が鎮座まします。右手には境内を同じくして善光寺本堂がありますが、あちらは半壊状態であるのが痛々しいことです。