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名前 |
佐竹義元墓碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
2025年5月5日に佐竹氏について調べている途上に立ち寄りました。15代当主である佐竹義舜の子として生まれました。16代当主となった佐竹義篤の弟に当たります。佐竹氏の庶流である宇留野氏を継ぎ、宇留野義元となりました。享禄2年1529年、兄義篤の宿老小貫俊通が城主を務める部垂(へたれ)城を宇留野義元は、攻略しました。部垂城主となった宇留野義元は、部垂義元と名乗るようになります。この兄弟喧嘩は、部垂の乱と呼ばれています。天文9年1540年に兄義篤の急襲を受け、佐竹義元は自刃して果てました。部垂義元と家臣団は、小場氏の指揮下に置かれるようになります。慶長7年1602年の秋田への国替えの際は、小場氏と共に大館城下へ移りました。部垂城跡には、幕末に大宮郷校が開設されました。