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清水寺の算額と絵馬〒370-0864 群馬県高崎市石原町長い階段を上がり、仁王門を抜け最初に出てくる案内標識です。清水寺の算額と絵馬については、高崎市教育委員会の案内板に結構詳しく書かれていたので、そちらを文字起こししておきます。高崎市指定重要文化財清水寺の算額と絵馬算額「関流小野良佐源栄重門人上毛群馬郡板井村斎藤四方藤原宜長」の署名がある。問題は、一点で接する半径の等しい弧がある。その弧にはさまれて、それぞれの弧に接し、また隣の円に接するような円を順々に作る。最初の円の直径を四寸、次は五寸とする。黒い部分(最小の円と両弧の間)の面積を最大にした場合、円をいくつはさむことができるか。」という難問である。答えは円九個となる。斎藤宜長は伜宜義とともに上州和算界の逸材で、佐波郡玉村町板井の農家に生まれた。この算額は文化十二(一八一五)年、宜長三十二歳の時の奉納である。 五十一歳で「算法円理鑑」を著わし、弘化元(一八四四)年六十一歳で没している。絵馬絵馬は二面あり、木地に金箔を置き「能楽吉野詣ノ図」と「龍頭二観音現出ノ図」を描いた一対である。「奉本掛御宝前元禄五壬申年九月吉祥日 上州高崎城主従五位藤原重孝敬白 常信筆(落款)」と記銘がある。絵は狩野派六代光信の弟尚信(木挽町狩野家)の子常信の作で、高崎城主安藤対馬守重博(重孝)が元禄五(一六九二)年に奉納したものである。安藤家には舞に長じた藩主が多い。先代の重長は将軍家光の病中の憂さを慰めるために舞っており、次の信友も、江戸城西の丸で能を舞って能面を拝領している。この絵馬はこうした「御家踊り」の伝統を背景に奉納されたものであろうか。高崎市教育委員会。