"兼六園の山崎山にひっそり芭蕉句碑"
芭蕉句碑の特徴
兼六園の山崎山の麓にひっそりと佇む句碑です。
石川県金沢市で松尾芭蕉の句を感じられます。
兼六園の一部として静かな空間を提供しています。
兼六園の一角にひっそりとある松尾芭蕉の句碑です。
拜會一下獵人。
■芭蕉句碑金沢は兼六園の園内に建つ石碑。松尾芭蕉の句碑。「あかあかと 日は難面も 秋の風」●日本三名園の一つに数えられる廻遊式の庭園。園内の山崎山の苔むした中に佇む自然石に句が彫られている。近づいて漸く文字が見える。松尾芭蕉は紀行文『おくのほそ道』を記した、その道中、金沢に立ち寄り詠んだ句。書は俳人・桜井梅室の筆。芭蕉は仙台から内陸をとおって、日本海の酒田にいき、新潟→富山→高岡と、日本海を下っている。金沢についたのは、7月15日。金沢では9泊したあと、山中温泉に向かう。金沢に着いた時期は、夏の暑い時節で、おそらく、当時は、今よりも、夏が早かったのでしょう。
| 名前 |
芭蕉句碑 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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兼六園にある芭蕉の句碑は、園内の山崎山(やまざきやま)の麓にひっそりと立っている。江戸後期の加賀藩士であり俳人として名を馳せた桜井梅室(さくらいばいしつ)が揮毫したこの句碑には、「あかあかと 日は難面(つれなく)も 秋の風」という芭蕉の名句が刻まれている。もとは卯辰山(うたつやま)麓の宝泉寺(ほうせんじ)境内にあったが、明治16年(1883年)に現在の場所へ移設されたものだ。そもそもこの句は、芭蕉が門弟の曽良(そら)を伴って「おくのほそ道」の旅をした元禄2年(1689年)、金沢に10日ほど滞在した際に詠まれたものだ。芭蕉はこの年の夏、越中(富山)を経て倶利伽羅峠(くりからとうげ)を越え、7月15日に金沢へ到着。市内の豪商・京屋吉兵衛宅にまず一泊し、その後犀川(さいがわ)の畔にあった旅人宿・宮竹屋(みやたけや)に移り、ここを拠点に市内各地を訪れている。当時の金沢は加賀百万石の栄華が色濃く、藩主の前田綱紀(まえだつなのり)も文化を積極的に奨励し、俳諧も盛んだった。芭蕉は連日地元の俳人たちに囲まれ、句会を催した。中でも特に親しく交流したのが、立花北枝(たちばなほくし)や斎藤一泉(さいとういっせん)ら、地元を代表する俳人たちであった。浅野川沿いにあった北枝の別荘「源意庵(げんいあん)」や、犀川のほとりの一泉の草庵「松玄庵(しょうげんあん)」などで句会を開き、加賀の俳人たちとの親交を深めている。この芭蕉の名句「あかあかと 日は難面も 秋の風」については、元々下五の部分が「秋の山」であったという逸話が残る。これを「秋の風」に直すよう進言したのが北枝であり、芭蕉はその才能を絶賛したという。表面的には「赤々と夕日が冷淡なまでに照りつけるが、吹く風はすでに秋の気配を帯びている」といった情景句であり、夏から秋へと季節が移ろう時期の旅人としての実感を詠んだものだが、実は恋歌の伝統的な表現である「難面(つれなく)」や「秋(飽き)」という言葉の裏には、恋人の冷淡さを嘆く気持ちが込められているとも解釈できる。芭蕉の俳諧の真骨頂である二重の意味合いが絶妙に織り込まれた句であり、後に「おくのほそ道」にも収録され、名句として広く知られるようになった。句碑を揮毫した桜井梅室は、江戸後期に活躍した金沢を代表する俳人であり、天保年間には「天保の三大家」の一人として名を馳せている。彼の門人であった俳人・後藤雪袋(ごとうせったい)が、師である梅室の筆によるこの句碑を建立したのが弘化3年(1846年)のことだった。建立の目的は、もともと句碑のあった宝泉寺境内の「柳陰軒(りゅういんけん)」という草庵跡を記念するものであった。柳陰軒はかつて芭蕉が金沢滞在中に訪れて句会を催した場所であり、加賀の俳諧の歴史を後世に伝えるために建てられた碑なのである。その後、明治期に兼六園が開放されると共に、多くの人々の目に触れるよう現在の山崎山麓へと移された。兼六園はそもそも加賀藩の外郭庭園として築かれたもので、芭蕉が訪れた頃にはまだ整備中だったという説もある。当時、金沢城周辺は既に美しく整備され、俳諧を嗜む文化人たちが城下町を彩っていた。芭蕉が滞在した市内各所には、彼が立ち寄った寺や句会跡、旧跡がいくつも残っている。犀川大橋そばにも、芭蕉の「あかあかと 日は難面も 秋の風」を刻んだ句碑があり、これは昭和33年(1958年)に地元有志が俳人・画家の小松砂丘(こまつさきゅう)の書を用いて建立したものである。他にも卯辰山宝泉寺の境内には柳陰軒跡の碑があり、芭蕉の句「ちる柳 あるじも我も 鐘を聞く」が刻まれている。さらに小坂神社(こさかじんじゃ)には「芭蕉翁巡錫地(ばしょうおうじゅんしゃくち)」の碑も立っており、市内には芭蕉の足跡をたどる多くの碑や史跡が点在している。兼六園の芭蕉句碑を訪れ、刻まれた句を目にすれば、芭蕉と金沢の文化的な縁の深さをあらためて感じることができるだろう。名高い庭園にあっても、静かに佇むこの碑が語りかける芭蕉の思いは、時を越えて今なお深く、重みのあるものである。