歴史を感じる大仏の里。
和田大仏及び横穴墓群の特徴
高さ3.6メートルの大仏が雨ざらしで見える独特な魅力があります。
昔の人々が薬として削った跡が残る歴史的な価値を感じます。
大仏大橋の下に位置する静かなスポットで長い時間の流れを体感できます。
長年住んでいますが、大仏があるとは思わない場所にあります長い時間の流れを感じることのできる場所です。入り口に大きな杉の木がありとても素敵です。
大仏大橋の下にあります。少し奥ばっているので通り過ぎそうになりました。大仏はだいぶ風化が進んでいました。
西暦808年に弘法大師が諸国行脚時に掘った、高さ3.6メートルの大仏。大仏の周囲には横穴墓が広がってました。
マップで表示される場所の手前に車を停められる場所がありますそこは橋の下で退避スペースがあり通行の妨げになりません大仏の入り口付近は停められるスペースがないのでご注意下さい大仏は表面を削られていますが昔薬として削りとる人がいたかららしいです大仏は覆いもなく雨ざらしなので保存状態が気になりました。
| 名前 |
和田大仏及び横穴墓群 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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和田大仏及び横穴墳群@須賀川市中世ぐらいまで、福島県の白河には「白河の関」というものが存在し、これより先を「みちのく(道の奥)」と呼んでいた。福島の古い街道も、白河より先は「会津」に続いていたりして、今で言う新幹線のルートとはまるで違うものがあって、そこには古い時代からの権力者が、そこを競って支配下に置こうとしていた様子も窺える。手前に置かれた看板の説明書きが以下「この大仏は、横穴古墳群が築造されていた屋面に座り込まれた鎌倉時代の磨屋仏で、高さ約三・六メートルの大日如来(一説には阿弥陀如来坐像です。伝説によると大仏は、大同三年(八0八)、弘法大師が諸国行間のときに、この産面に三鉢(株の形をして高端にわん曲して分はした三本の形がついた金額製の仏具)をもって彫ったと伝えられています。現在、大仏の乳部がえくられていますが、昔、乳不定の婦女子が大仏の乳部を削って飲むと母乳の出がよくなるとの信仰からで、当時、人々の生活に密接なかかわりをもっていたことがうかがわれます。この付江一帯は、古場時代、石音の国の中心地であったらしくたくさんの古墳が点在しており、大仏の彫られた虚面にも数十基の横穴古墳が築造されています。これらは、阿武限川流域を中心に支配していた家族の墓跡と考えられています」とのこと。伝承的には平安時代の弘法大師(空海)の時代まで遡る。一方、建造された時代は鎌倉期ともされている。「弘法大師」がもたらした伝説をゆかりとする遺跡は福島には多い。全国的にも多いだろう。「弘法大師」という存在は、お釈迦様と同じぐらい、日本人の心の歴史の中で「万能の神」のようなオーラを放つ。「神仏でありながら人間(衆生)」時の権力者や、それ以降の民間信仰的に「弘法大師」という存在が、いかに大きな力を持っていたかも感じ取れる。しかし、そういう日本全国的な仏教伝来と伝播を抜きの摩崖仏を作る以前に、岩を穿つ古墳文化があったことも興味深い。阿武隈川と阿武隈山系に残る古くからの文化も本で読んだことがある。物理的とか地理的に、この地は豊かであったろうし、そこから続く街道にある地は、同じくやはり古くからの豊穣な要所であったことを理解する。指定史跡和田大私及 横穴古墳群指定年月日 昭和四十四年五月三十日所在地須賀川市夫字和田学大私所有者和田区#和田大仏 #和田大仏及び横穴古墳群 #須賀川市 #白河の関 #摩崖仏 #白河街道 #会津 #弘法大師 #弘法大師空海 #空海。