歴史に触れる急坂、杖衝坂。
杖衝坂の特徴
日本武尊が登った歴史のある急な坂道です。
松尾芭蕉の句碑が残る風情ある場所に位置します。
旧東海道の難所としても知られる史跡です。
旧東海道、四日市宿から日永の追分を右に行き、うつべ地区に入ると杖衝坂に入ります。その手前にはうつべ町かど博物館があります。何年か前ですが、池波正太郎原作、漫画家の高橋理恵が書いた雨の杖つき坂と言う読み切りの漫画がありました🍵これがなかなかイイ漫画で💡杖衝坂を通るとつい漫画のシーンを思いだします🍡また三重の旧東海道を歩いて🚶フォトを撮りまくりたいです。(写真が古くてスンマセン🌱
三重県四日市市 杖衝坂さんを、2024年10月26日(土曜日)に初めて訪れました。日本武尊(やまとたける)さんが、日本平定の際に、当地にていただきます😖💦たいへん脚に痛みを感じて、休まれた場所だそうです。グーグルマップさんを見ていて、コメントから、今回初めて訪れました😆日本の歴史や治安の良さを感じました。先祖を敬う気持ちを感じました。また立ち寄りたいと思います🍀
東海道の中でも急であると言われている坂。登り始めはそうでもなかったのですが意外と長く続いていて普通に疲れました。途中で芭蕉の句碑などもあり。
少々急な坂が数百メートル続きます。この坂と日本武尊命の伝承、三重という地名の由来など、坂の途中にある「うつべ町かど博物館」でボランティアの方から伺うことができます。
三重県の名前の由来になった場所。倭建命が故郷の大和に帰ろうとして伊勢国に入り、亀山に向かう途中で伊吹山の神の毒がまわり「吾が足三重の勾(まがり)の如くしていと疲れたり」と言ったとあり、これが三重郡の名前の由来。このとき瀕死の倭建命が剣を杖代わりにして登ったことから杖衝坂と名付けられたという。「三重の勾」とは、リボンのような形をした三重になった勾餅のこと(写真参照)で、餅をあげることでカチカチになった勾餅のようなカチカチの足(=足がむくんでしまった)になってしまった、という意味。「うつべ町かど博物館」に勾餅の見本が展示してあります。
日本武尊が東国を平定し大和に帰る際、伊吹山の神の祟りを受け、満身創痍状態で杖をつきながら登ったので、この坂は「杖衝坂」と名づけられました。その際に日本武尊は「吾か足三重の勾なして、いたく疲れたり」と言いったことから、この地を「三重」と言うようになったとも伝えられています。三重郡の由来って、ここからきたんですね!
テレビで見てどんなもんかと見に行ってみました想像以上の急坂でびっくりしました。
東海道の要所。急坂歩くと少し昔の旅気分が味わえます。駐車場がないので注意です。
三重県の名前の由来の場所です。日本武尊が急坂を杖をついてようやく登れたので、その坂を「杖衝坂」と言ったということです。さらに、日本武尊が少し進んだとき、「吾か足三重の勾なして、いたく疲れたり」と言い、その地を「三重」と言うようになり三重郡の由来です。そこから三重県となりました。また、江戸時代に松尾芭蕉は馬から落ちてそのことを歌にしました。勾配が急だとアスファルト舗装が出来ないのでコンクリート舗装で滑り止めの丸いドーナツ状の輪っかが路面にあります。私はその坂を自転車で登りたくて来ましたが、雨上がりの為、タイヤが等間隔にある石敷きで滑り焦りました。
| 名前 |
杖衝坂 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
四日市宿から歩いてきました。この杖衝坂の少し先から鈴鹿市に入り、石薬師宿も射程に入るので、思い出深い地となりました。