芭蕉の句碑で心癒す長島の旅。
芭蕉句碑長島大智院の特徴
真言宗智山派のお寺で、芭蕉遺跡があります。
現地には曽良の句碑があり、奥の細道に関連する場所です。
明治5年に開校された長島小学校の発祥の地として知られています。
何度かお邪魔しています。建物もリニューアルされ、より素敵な雰囲気になりました。
桑名市長島町〔大智院〕に芭蕉と「奥の細道」の旅で同行した曽良の句碑が建っている。大智院を訪問すると、門前に 蕉翁信宿処 と刻んだ碑が建っている。第五代伊勢長島藩主・増山正賢の筆になる碑。曽良の句碑には「奥の細道」の一節が刻まれている。 伊勢の国長嶋と云所にゆかりあれハ先立ちて行くに ゆきゆきてたおれ伏すとも萩の原 曽良 元禄2年(1689)8月5日、体調を崩していた曽良は、山中温泉で芭蕉と別れ、先行して、叔父のいる大智院で静養、翌月大垣で芭蕉の到着を待った。芭蕉は大垣から、伊勢に向かう途中、大智院に宿泊した。芭蕉句碑には、 伊勢の國長嶋大智院に信宿す うきわれをさひしからせよ秋の寺 はせを と刻まれている。(この句の下五は、後に「かんこどり」に改作される)
芭蕉の句碑が建てられていました。お寺と言うより民家みたいです。
名前 |
芭蕉句碑長島大智院 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0594-42-1589 |
住所 |
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HP |
https://kanko.city.kuwana.mie.jp/history/daichiin/index.html |
評価 |
4.3 |
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真言宗智山派のお寺さんで芭蕉遺跡、明治5年(1872)長島学校が開校された長島小学校発祥の地として有名です。月日は百代の遇客にして、行きかふ年もまた旅人なり。で知られる芭蕉翁紀行文典の細道の一節に「曽良は腹を病みて、伊勢の国長島といふ所にゆかりあれど先立ちて行くには、行き行きて倒れ伏すとも萩の原曽良と書き置きたり行く先の悲しみ残る者の憾み(うらみ)隻ふ(せきふ)の分かれて雲に迷うがごとし予も又今日よりや書付消さん笠の露 芭蕉」としたためられています。素晴らしいですね。