歴史が息づく桑名城跡。
桑名城 天守台跡の特徴
播龍櫓の外で地元の方と様々な会話が楽しめました。
関ヶ原の戦い後に築かれた本多忠勝の堅牢な海城です。
桜が美しい広場が整備された城跡にあります。
桑名城の天守台跡です。天守閣はないですが石碑があります。
桑名藩初代藩主となった忠勝の桑名城跡。戦国最強と謳われた、本多平八郎忠勝🗡️の銅像が入口を守っていました。城跡は、堀割りと天守台以外面影は殆ど残っていません。しかしながら、雰囲気の良い公園となっており、賑わっていました🌸
三重県指定史跡2024年2月中旬、桑名宿探訪の際に寄りました。説明板には————————————————————-桑名城天守台跡のご案内此処は桑名城天守閣が聳えたっていた址で、三重県指定史跡である。松平定綱公の寛永年間(1635~1651)に城郭が完成し「海道の名城」と讃えられます。元禄14年(1701)2月城下より発した猛火に襲われて城も焼失。天守閣は再びその雄姿をあらわすことなく、明治廃城に到りました。現在の石組みは昭和53年5月に、楽公没後150年記念大祭協賛事業の一環として、新しく巨石を入れて献備したものである。———————————————————とあり「四重六階」の複合式「天守」という割には小さいなと思っておりましたが、石垣が規模が縮小されて積み直しされたと知り納得また頂上に戊辰殉難招魂碑が建っています。
本多忠勝(徳川四天王の一人)が、関ヶ原の戦いの功績により、伊勢桑名10万石に国替えし築城した堅牢な海城。「海道の名城」と呼ばれたが、城主が変わり焼失、明治になり堅固な石垣は港の復興などに使われ、今はその姿を観ることができません。九華公園として、人々の憩いの場になっているようです。なお、国替前の千葉県の大多喜城は博物館として模擬天守閣が建てられてます。(現在改装のため休館中)
【概要】 関ヶ原の合戦後に築かれた本田忠勝の城。昔は95の櫓を擁する名城だったと伝えられています。その堅固さは、川を利用し、堀でしっかりと囲まれた姿からうかがえました。【アクセス】 桑名駅から自転車で約10分。路線バスも利用可能です。観光案内所でパンフレットを入手しましょう。【見どころ】 本田忠勝の銅像、美しい水堀、天守台跡(神社奥にあり)
堀巡りの、舟が今日までだったので乗りました。桜は満開が先週だったようですが、とってもスリルもありの時間を過ごさせて貰いました。
威風堂々、あなたにお会いできただけで、ここに来て満足です。三重北部で、貴重。城跡公園整備され、散策にはいいのだけど、規模の割に、おおーっと、と思う遺構が。すくない。幕末明治の遺恨が。破却度高過ぎ。せっかくの水城だけに、世が世なら、日本◯大◯城と呼ばれた筈。難しいだろうが、もう少し復元が上手くいけば、町興しとともに、桑名宿の良さ、伝わるだろうに。みたいなぁ。
隣で野球の試合をしていました。天気も良く、人もまばらで静かに見ることができ素敵な時間でした。桑田藩^_^幕末関わっていたことは知りませんでした。会津藩、桑名藩、慶喜公と幕末、薩摩藩、長州藩と戦ったという話。最後は自分の意思で最後まで戦い抜いた藩士も。歴史の奥深さにまたしても感動するばかりでした。この後、城郭をゆっくり歩き、文化財に指定されている石垣や、刻み石などを見てまわりました。
天守含め城址の建物は無い城跡です。そのため城跡の雰囲気は少なく複数の神社と大きな堀のある広い公園でした。所々に櫓跡の土台がかろうじてここが城跡だったと感じられる遺構で史跡好きには少し物足りない感じです。ただ、公園は綺麗に整備されており市民の憩いの場としては人気があるのでしょう。元旦の城址は賑わっていました。近くに七里の渡し跡もあり、賑わっていた頃の桑名の町並みも想像できる通りもあって散策には良い公園でした。
| 名前 |
桑名城 天守台跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.kuwana.lg.jp/index.cfm/24,11219,234,410,html |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
関係ない写真が多い。これが本当の天守台跡です。階段が崩壊の恐れがあるため、登れません。神社の右側にあります。隣は市民プール。