歴史を感じる七所社、奇祭きねこさ祭!
七所社の特徴
毎年2月に行われるきねこさ祭りが特徴的な神社です。
境内に奈良時代の古墳があり、歴史を感じることができます。
竹薮や秋葉神社などの美しい景観が広がる場所です。
町のなかにあって結構立派な神社。ヤマトタケルの腰掛けや古墳などあったりすごい。竹の所にある厳島社は絵になる。本殿が白くきれい。道行く途中にきれいだなと思ったので行ってみた、よかった。またここは奇祭などがあるみたいなので機会があったら見てみたい。
立派な神社でした。目隠し塀も備わった格式のある神社だと思います。
毎年2月に奇祭きねこさ祭りが行われる神社3基の古墳があり歴史を感じられる神社。
境内には、岩塚という地名の由来となった古塚や日本武尊が腰をかけたと伝わる腰掛岩が現存している。創建は神社に祀られている神鏡に元慶8年(884年) の銘があるところから、このころの創建と考えられている。応永32年(1425年) に足利尊氏の一族である岩塚城主吉田守重が社殿を修造した記録が残る。毎年旧暦1月17日には、尾張三大奇祭で名古屋市無形民俗文化財のきねこさ祭り(別名:御田祭り)が行われる。
朔日参りで始めて伺いました🎵竹薮に厳島神社と古墳素晴らしかった😉沢山お社がありましたので丁寧に全部お参りさせて頂きました🙏聞き上手で優しい宮司様でした💐
【七所社(しちしょしゃ)】愛知県名古屋市中村区に奈良時代の古墳があります。『延喜式』(延長五年/西暦九二七年に完成されたもの)に、すでに中村区の「群名」が登場しているように、中村という地域は古代から人びとが生活をしていた場所です。古代から朝廷と関係が深いということでしょう。ここ「七所社」の境内には、古墳1号~3号あります。つまり、古墳が三か所みつかった、ということです。この七所社の古墳は、奈良時代のものです。さて、なかでも注目をされるのが、「古墳3号」です。この奈良時代の古墳の上に、近代に造られた石碑が置かれている、ということです。この石碑は、日露戦争戦勝記念碑で明治四〇年に造られた石碑ということです、石碑を見ると分かります。たびたび、「奈良時代の古墳3号を見つけることができない!!」という意見がある理由が、ここを訪れて実際に見てみるとより理解をすることができます。
天下の奇祭『きねこさ祭』が2月に行われる神社⛩‘23年は2/7(火)に開催数日前から境内はお祭りの準備がされており、夜間は煌々と提灯が灯っていました🏮🏮🏮🏮🏮庄内川に突き立てた竹🎋今年はどちらに倒れるのか‼️お祭りの当日。神事が行われて竹は今年の恵方の南南東に倒れ見事『大吉』となりました👏参道には屋台が出て人出もおおく賑わっていました✨
七所社(しちしょしゃ)は、愛知県名古屋市中村区にある神社。創建は神社に祀られている神鏡に元慶8年(884年) の銘があるところから、このころの創建と考えられている。 応永32年(1425年) に足利尊氏の一族である岩塚城主吉田守重が社殿を修造した記録が残る。境内には、岩塚という地名の由来となった古塚や日本武尊が腰をかけたと伝わる腰掛岩が現存している。毎年旧暦1月17日には、尾張三大奇祭の一つであるきねこさ祭が行われる。
テレビのニュースできねこさ祭りは知っていましたが、大きな神社で驚きました。佐屋街道をサイクリングしていて寄らせていただきました。
名前 |
七所社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
052-412-3671 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.1 |
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七所社の御祭神は、日本武尊 天照大神 倉稲魂命 天之忍穂耳尊 高倉下命 宮簀姫命 乎止與命で、由緒は、尾張地名考に、「岩塚村に延喜式の愛智郡御田神社、本国帳の従三位御田天神とあるは七社明神をいうなり」と有り、神社に祀られている神鏡に元慶八年(八八四年)の銘があるところから、このころには創建されていたと考えられ、古木繁る清浄な神域として、千年を超える悠久の歴史を持つ神社で、現在の七所社に威容を整えたのは、旧岩塚城主であった、吉田社家の祖先吉田守重で有り、尾張誌に、「熱田七社を祀る故に社号を七社という。応永三二年(一四二五年)に、吉田治郎右衛門守重、社殿修造す」とある。境内には、日本武尊の東征伝説にまつわり、日本武尊腰掛岩」があり、境内に残る三つの塚(円墳)とあわせ、この地「岩塚」の名の由来となっていて、尾張三大奇祭の一つ、きねこさ祭は、旧暦正月一七日に斎行され、特に厄除けに霊験があると伝えられているそうですよ。