加賀野井城跡で戦国浪漫を!
加賀野井城跡の特徴
加賀野井城跡は、かつて加賀野井氏の居城だった歴史的な場所です。
周囲には田畑が広がり、静かな雰囲気を楽しむことができます。
近くには木曽川駒塚の渡し跡がある歴史的興味に満ちたエリアです。
小牧長久手の戦の時、長久手で敗れた秀吉は、西側の織田信雄側に攻め手を変えて、この城を大軍で攻撃したそうです。城兵は信雄、家康の救援を待って戦ったそうですが、救援は来ず、秀吉は城兵をなで斬りにしたそうです。長久手での負けがよほど口惜しかったのでしょう。今は、城跡らしいものは何もありません。川沿いののどかな場所に、ただ説明板だけがあります。
まもなく新濃尾大橋仮称が完成するが、尾張と美濃の架け橋になった戦国武将城屋敷城主加賀野井弥八。織田信長に仕え柳ケ瀬にある弥八地蔵と言えば気が付くかと。最後は知立で生涯を終えたが今でも柳ケ瀬での待ち合わせに弥八地蔵を訪れる人は多い。
木曽川右岸沿いの低地にシュロの木が目印🌴城址の遺構はなく案内板が立っています。本丸は今の木曽川の位置らしい。
10/30 訪問遺構らしきものは見つけられなかった。
駐車場は無く道も狭いので自動車で行くのはあまりおすすめできません。
羽島市の加賀野井にある加賀野井城跡です、ここから北へ行くと木曽川駒塚の渡し跡があります、周りは田畑が広がっています。
畑の中の一角に案内板が建っています。それだけでも、ありがたいところですが、なぜソテツ?!
加賀野井城(かがのいじょう)は、岐阜県羽島市にかつて存在した日本の城。加賀井城とも書かれる。加賀井氏の居城として使われ、現在はわずかに城跡が残されているのみだが、県の史跡に指定されている。地元の伝承では城の井戸が木曽川の中ほどにあるといい、1586年(天正14年)の洪水や1608年(慶長13年)の御囲堤築造に伴う治水工事で城郭・城地の大半を失ったと推定されている。長久手の戦いに大敗を喫した豊臣秀吉が、局面の打開にむけて策を練り、密かに10万の大軍を出動させ、織田信雄を撃退した「加賀野井の一戦」の舞台です。
加賀野井氏の居城跡です。現在は畑の一角となっていて跡形もないです…南に50mのところには、阿弥陀如来立像の説明がありますが、像自体は確認できませんでした。
| 名前 |
加賀野井城跡 |
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| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.2 |
| 住所 |
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看板1枚だけで寂しかったです。