信長と信行が争った稲生原。
稲生原古戦場跡の特徴
稲生原古戦場跡は信長が尾張統一を果たした伝説の地です。
庚申塚の石碑と共に歴史の重みを感じられます。
閑静な住宅街に位置する心霊スポットでもあります。
いま先ほど、巡ってきました。伊奴神社で祈祷行く道中、鳥居型した岩のオブジェみたいなのが道路に面してあり、まあ、遊歩道なんだけど、帰りに寄らせてもらいました。手入れは、地元の人がしてるのかな?花も枯れてますし、正月以来管理してないのかな?鏡餅、みかんが劣化してました。地域住民さん、供養塔にも手入れしてあげてください。賽銭箱なのかな?お堂に直に落ちた感じだけど、賽銭投入口なのか、不明だった。あれがもう少しわかりやすいと良いと感じた。あまり期待せずに行ったほうがいいかなと。期待して行くと、そうでもないスポットなので。自分としては、それでも駅近でパワースポットあるってだけで、ありがたいので、これはこれでいい。いずれ、自身のYouTubeちゃんねるにて、編集しアップします。いま、溜めてた動画編集中なので、アップはもう少し先になりますけど、興味あればスポットの参考程度にご視聴ください。
信長初期の合戦跡地です。いまは庚申塚が遺るのみで遺構らしきものはありません。古い住宅街に囲まれ看板がなければ名だたる信長の古戦場とは比べるべくもありません。ただ、庄内川が北に膨らんだ名古屋市の平地の端にあたり当時の地形を想像しながら散策できました。名古屋市はあまり信長を全面に出した遺構の整備を進めてないようですが、戦国時代最高の偉人の史跡をわかりやすく見せてもらえる整備を期待したいと思います。
☆兄/「大うつけ」織田信長vs弟/「評判高き」織田信勝、織田弾正忠家の骨肉の争い、政争内紛、桶狭間の戦いの4年前1556年に勃発⚔️稲生の合戦に深く関係した織田弾正忠家/筆頭家老「林秀貞(通勝)」の邸宅跡訪問したので、織田弾正忠家繋がりで訪問🚶☆庄内川の南側、凄い街中で驚き、良く開発されず、街中の一角に現代まで史蹟現存、歴史深き尾張名古屋😲☆信勝方/柴田勝家、林美作守通具(通勝弟)ら兵1700vs信長方/森長可、前田利家、丹羽長秀ら直属精鋭の一騎当千の兵700(佐久間盛重・信盛や連枝衆ら兵1000は信長命令で戦を傍観参加させずとは⁉️)、少数奮戦し林通具らを討ち取り勝利、これまでの織田弾正忠家の禍根を全て断ち切る一戦🐎
稲生の戦い。織田信秀の死後に、信長と実弟信勝との間で家督相続争いがここで行われました。川沿いの公園になっています。とてもそんな合戦が行われたとは思えない静かな所です。昔は尾張国春日井郡と言う地名でしたが、今は名古屋市西区になります。信長の本陣跡は、近くの名塚神社あたりです。そこには信長銘板が建っています。
庄内用水沿いに庚申塚(こうしんつか)の石碑と供にひっそりとありました☀️信長はこの戦いの勝利で尾張統一に大きく踏み出しました❗庚申信仰の名残が残るここに合戦の死者の霊を祀ったといわれています。
稲生原古戦場跡(/≧◇≦\)
こんなに町中なのにあるんですね、
信長軍が弟の信勝(こちらの説明でも信行となっていますが信勝が正しいようです)方の柴田勝家と林美作の軍勢と戦った古戦場の跡です。柴田軍一千、林軍七百に対し、信長軍は七百。数の上では信長軍が圧倒的に不利ですが、大将の信長が自らが軍を叱咤し、また槍を振るって戦ったので信長軍が勝利しました。この時、信長は23才でした。このように、若い頃の信長は尾張統一の戦いに明け暮れていたのでした。古戦場跡には目新しい供養塔があったので、よく見てみると、この時信長に討ち取られた林美作のご子孫の方が建立したようです。また私が訪れたのが6月だったので新緑が綺麗でした。
こんなところに古戦場😅
| 名前 |
稲生原古戦場跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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織田信行・信長兄弟が戦い、信長が勝利した史上有名な古戦場跡です。住宅地の一角にあり駐車場はありません。