格式高い無人の牟都志神社。
牟都志神社の特徴
平安時代の延喜式に載る格式ある神社です。
地元の氏神様として親しまれる雰囲気の良い神社です。
円空上人が作った木造愛宕神立像を拝観できます。
ここは無人の神社少し暗い感じがします。中に入ると菊理姫さまが御神体菊理姫さまはあまり知られていないが、天照大神様のご両親、イザナギ,イザナミの喧嘩の仲裁に入られた方。縁結び・縁切りのご利益厳しい神様です。横には白頭龍神様が小さなところにあります。ご挨拶させていただきました。
今日初めて参拝に伺いました。円空(弘法大師作)仏像が祀られて居りまして必見です😉場所はキタバス牟都志神社目の前と分かりやすく有難い限りてました🙆
平安時代の延喜式にも載っている格式の高い神社とのことですが、そのような派手さはなく、地元の氏神様として親しまれています。
街中の雰囲気の良い小さな神社です。
円空上人作の木造愛宕神立像があるそうです。
| 名前 |
牟都志神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP |
https://www.aichi-jinjacho.or.jp/search_detail.html?id=126e22d5-e9cc-4832-ad18-9689e5f1aa92 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
牟都志神社(むつしじんじゃ)。愛知県北名古屋市町六ツ師南屋敷。式内社(小)、旧村社。江戸時代は「白山社」と称していた。主祭神:菊理姫命【関係氏族】小治田連資料によると、古来「六師里」の地名があり、土地の名が社名につけられたと思われる。鎮座地は六師地区の最も標高の高い場所である。当社は白雉二年八月十八日(西暦651年)の創建になる延喜式内社で、菊理姫命を奉斉し、縁結び夫婦和合、家庭円満の守護神である。近世以前に不明となり、当社は江戸期には白山社とされており、修験道の支配をうけていた。祭神として菊理姫命を祀っていることから白山神社や白山妙理権現などと呼ばれていた時期がありました。明治4年に牟都志神社と改称した。祭神は菊理姫命とされているが、それだと白山神社の性格が強調されてしまう。そこで、本来の祭神は小治田連一族の祖とされる六見命(むつみのみこと)ではないか、という見解が生じてくる。延喜式神名帳には「春日部郡牟都志神社」と記載されている。もしも祭神が六見命だとすると、当社は小治田連一族の氏神ということになる。氏神の名称が簡単に変化するとは思われない。かりに、「六見神社」が「牟都志神社」に改称され、江戸時代に入ってからさらに「白山神社」に改称されたという話なら分かる。が、事実は「牟都志神社」は延喜式神名帳にあるように、平安初期から「牟都志神社」なのである。氏神が簡単に変化するとは思われず、「むつし」は「むつみ」というのも苦しい。現に鎮座地の地名は「六ツ師」である。ここは素直に神社の名称どおり六ツ師に「牟都志神社」が存在していた、と理解するのが穏当だと思う。六ツ師の地名の起源には諸説あるが大正十二年刊『西春日井郡史』昭和三十六年刊「師勝史」によると『昔、当宇に六ツの石あり、この六石(むついし)より六ツ師の字名起れりという。現在其の一つは牟都志神社の社標の台石となりおれり又一つは観音寺前の松林中に埋没せりと言い伝ふ。その他は明らかならず』とあるが近年神社の手水舎の御手洗石もその一つてあることが証され、永く子々孫々に語り嗣がれることであろう。とあります。