信長の初陣に立つ砦跡。
村木砦跡の特徴
村木砦跡は織田信長の初陣として知られています。
鉄砲使用の歴史が感じられる貴重な場所です。
駐車場はありますが案内板が少なく訪問が難しいです。
今川義元が尾張攻略に力を入れ始めた頃、ここに砦を作り織田側の水野氏と援軍の織田信長が戦い勝利した合戦後の様です。
石碑と説明板があります。遺構は残っていません。
織田信長が大量の火縄銃を使用しました村木砦の、お宮さんと通過する電車の一枚です🎀信長は舅の斎藤道三の援軍を受けて長駆手勢を率いて今川軍を攻めました🐴🔥後の長篠設楽原戦の前触れです。
村木砦の駐車場について。日曜日、祝日に限り近くにある歯医者・レオデンタルクリニックの駐車場が利用できます。この駐車場から村木砦の行き方は看板に矢印も出ています。徒歩での所要時間は2~3分程です。
愛史協史跡巡りで訪問。道は狭いですが一瞬で写真撮るだけなら車で行けなくも無いです。
御城印の為に来ました。違う御城印もこちらの物は無料では無く購入する御城印ですが、家康の母親 於大の方の故郷の城、緒川城🏯の御城印も頂きました。刈谷城とばかり思ってましたが、こちらがそうなんですね!?
信長初陣と言われる村木砦の戦いのあった場所です。以下、案内板より天文20年(1551) 強敵織田信秀の死を好機に、今川 義元は尾張への進攻を図った。やがて鳴海城・大高 城・沓掛城を手中に収め、続いて、織田に属する緒 川城の水野信元を攻略しようとした。 重原城を根拠 地として資材を送り、村木の岬に砦を築き、三河の 精鋭東条松平甚太郎義春を城将とした。信元から援軍の依頼を受けた織田信長は天文23年 1月21日兵を率いて那古野城(今の名古屋城)を出発 した。 22日は強風の中を熱田港から渡海し、23日緒 川城に到着した。 24日朝から織田・水野の連合軍が 村木砦の攻撃を開始した。 両軍共によく戦ったが、 夕方になって今川軍は遂に降伏した。 村の西方にあ る首塚は両軍の戦死者を葬った所である。 八剱神社 は元亀2年(1571) 信元の家臣清水八右衛門家重・同 権之助政晴が戦死者鎮魂を願って創建した。
織田信長が初めて合戦で鉄砲を使用した場所で、「麒麟がくる」でも合戦の場面が紹介されました。兵どもの鬨の声が感じられる雰囲気があります。
歴史上有名な砦跡です。
| 名前 |
村木砦跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0562-82-1188 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.6 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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現在は小さな神社(八剱神社)さんに石碑と説明板が残るだけです。桶狭間の戦いの2ヶ月前に起きた今川方の村木砦を織田水野連合軍が落とした「村木砦の戦い」の舞台です。駐車場はありませんのでご注意を。