桶狭間の歴史を感じる寺。
長福寺の特徴
今川義元の供養寺であり、桶狭間合戦に関する史跡が点在するお寺です。
境内には今川義元像や松井宗信像があり、歴史を感じることができる場所です。
供養塔や首実検跡が残る、歴史の深い名古屋の寺院です。
ここで義元公の首検証をしたとされています。「麒麟が来る」の討ち取り方のイメージとはかなりギャップを感じます。
織田信長が今川義元の首検証を林阿弥に命じて行わせた所です‼️境内には首検証跡、放生池「血刀灌ぎの池」、堂内には今川義元像、家臣の松井宗信像、位牌、桶狭間の合戦の遺品があります!参道の両側に広場みたいな広い駐車場があります🅿️🚗
2021年10/1~11/30迄行われていた信長攻略クイズラリーに参加したので訪問しました。まあまあ参加されてる方がいました。
今川義元の首を、捕らえられた茶坊主林阿弥が織田方に検証させられた場所です。彼は見逃され故郷に帰されました。
本堂内は見れませんでしたが、今川義元の供養塔や首検知などを行った場所を知ることが出来ました。今は、紫陽花も綺麗に咲いており、お寺には紫陽花が合うなぁとしみじみ感じておりました。
歴史のある寺。コロナ退散の願いを込めて 秘仏 薬師如来の御開帳をなさっていました。
桶狭間の合戦に関する史跡の残るお寺です。こちらのお寺で織田軍が討ち取った今川方の武将の首検証を行ったと言われています。境内には供養杉と呼ばれる大きな杉の木があります(現在のものは二代目)。それから弁天池と呼ばれている放生池もありますが、こちらでは桶狭間の合戦の時に血の着いた刀を洗ったので「血刀濯ぎの池」とも呼ばれていたそうです。説明には首検証をさせられた義元の茶坊主の林阿弥が後に義元の供養のために阿弥陀如来像を持って寺を訪れたとありますが、現在本堂に安置されている仏像がそれなのでしょうか?
長福寺(ちょうふくじ)は、愛知県名古屋市緑区にある西山浄土宗(浄土宗西山派の一派)の寺院である。山号を和光山(わこうざん)、院号を天沢院(てんたくいん)と称する。本尊は阿弥陀如来である。『張州雑志』には美濃国山県郡溝口村にある慈恩寺の末寺とある。開山は室町時代後期(戦国時代)の1538年(天文7年)、善空南立(ぜんくうなんりゅう)上人によるといい、桶狭間の戦いの折りには当地に到着した今川勢を饗応し、労をねぎらったという逸話を持つ。1560年6月12日(永禄3年5月19日)の桶狭間の戦いにおいて敗死した今川義元の供養寺として知られている。
西山浄土宗の寺院桶狭間の戦いにおいて敗死した今川義元の供養寺として知られている。堂内には今川義元と松井宗信の木像も安置され、改修で今川義元の位牌も見つかったそう??また、桶狭間の戦いの今川方武将の首検証が行われた場所でもあった。高さ26.8mもある大杉が供養杉として長らくあったが、伊勢湾台風によって倒れ、現在は2代目。
| 名前 |
長福寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
052-622-7009 |
| HP |
http://okehazama.net/modules/sisekimeguri/07_cyoufukuji.html |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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周辺のオススメ
☆総大将/今川義元・今川家側近/松井宗信の供養寺、桶狭間合戦供養碑もあり。【門前の案内板を拝見】・桶狭間の戦いの前、当地に「今川勢」が到着すると当寺が率先酒食を提供して労をねぎらう。・桶狭間の戦いの後、当寺で「織田方」が境内の杉の大木の下で、今川方武将の首級を検証。寺宝に今川義元と松井宗信の木造安置、桶狭間合戦関連の武具や鎧も所蔵、本尊の『阿弥陀如来』は織田方に捕らわれ、首実検した今川方の茶坊主「林阿弥」が後日供養のため納めたと伝承。