在原寺で歴史を感じる。
在原寺の特徴
知立市の歴史ある仏教寺院で、見学が楽しめる場所です。
在原業平のお墓、宝篋印塔が存在する貴重なお寺です。
寛平年間に築かれた在原塚を守る文化的な意義があります。
在原寺の業平のお墓宝篋印塔(ほうきょういんとう)であるが、言い伝えがあり、墓とあるようである。業平は皇族であり、亡くなる直前まで天皇の皇子についており、その死後は決して粗末に扱われることはなく、逆に慎重に扱われたものと思われる。数多く墓である、といわれる場所は、業平と関係のある地にあり、和歌であったり逸話であったり、地元の人にたいそうに親しまれた結果、多くのお墓と云われる所が出来たのであろうと思われる。[備考 他のお墓と言われている場所]京都府京都市西京区大原野小塩町 十輪寺、なりひら寺奈良県奈良市法蓮町 不退寺奈良県吉野郡天川村坪内 業平の墓滋賀県高島市マキノ町在原 業平の墓❶【参考 知立町誌文化財編 1969年】業平供養塔いい伝えに「寛平年間(889年~897年)に業平の骨を分けてここに塚を築く。」とあるが、確証はなく、むしろ業平公への供養塔とすべきであろう。とある。制作は 鎌倉時代末期より室町初期と思われる、とある。ちなみに業平公の晩年は文徳天皇の皇子に仕え、和歌を奉るなどしている。元慶4年(880年)5月28日卒去。享年56。[石塔の様子]やねの角が欠如している。塔身に4仏、種子を描き、台座の上部に蓮弁(れんべん・はすの花の意)を描き、側面に香杯(こうはい・香りをかぐ杯)をかざり、いわいる連弁式または、関西式と呼ばれる宝篋印塔(ほうきょういんとう)である。[所在地] 知立大字八橋五輪25 在原寺[寸法] 宝篋印塔(ほうきょういんとう) 高さ98,5㎝__________________❷【参考 知立町誌文化財編 1969年】「伊勢物語」の業平は宮廷生活を嫌がり“あずまくだり“をしたことになっている。この三河の八橋の地でも、業平は歌を詠み逸話が残り、その結果業平に係るといわれる遺物の多くが残されている。その一つに墓がある。田中蒼波は「史郷知立」で「遺命により寛平4年(892年)5月15日分骨に守本尊薬師如来と業平像を添えて送られた、分骨は入江浦丘、現在の墓所に納め冥福を祈る」と記してあるが、これは明らかに後代の作で供養塔であろう。とある。又「伊勢物語」はあくまでも物語であり、歴史上の人物の業平が実際にあずまくだりをしたというのは疑わしい、とある。実際に業平があずまくだりをしたという、事実はなく、ここでいわれる疑わしいでなくて、ありえないと私はいう。
良かった。#鎌倉街道 沿いにある #臨済宗(禅宗)のお寺。
在原業平の骨を分け寛平年間(889-898)に築いたと伝わる在原塚を守るため建立された。後の鎌倉末期頃に供養塔も建立された。
| 名前 |
在原寺 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
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知立市観光ガイドボランティアの会のおかげて本堂の中まで見学出来ました‼️こじんまりとしたお寺ですが、石碑も複数あり歴史あるお寺です?