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名前 |
斯波兼頼公墓所 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
最上氏史跡2019年7月13日来訪。最上氏の祖。斯波氏は鎌倉幕府有力御家人足利泰氏の嫡子として生まれ、陸奥国斯波郡を所領とした足利家氏を祖とし、室町幕府において細川氏、畠山氏と並ぶ三管領に任ぜられる守護大名。斯波兼頼は、南北朝時代斯波氏傍流の奥州探題斯波家兼の子であり、1336年、関東執事の斯波家長の命で、行方郡において北畠顕家と争う。1356年、父家兼と共に北陸から奥州に下向し、南朝方の寒河江氏を抑える為、出羽国按察使と称して最上郡山形に入部、翌年山形城を築城して本拠とし、さらに1367年には、漆川の戦いで鎌倉公方足利氏満、奥州探題大崎直持と共に寒河江氏を攻撃し降伏させた。1373年、室町幕府により屋形号を許され、最上屋形と称した事を機に最上氏と称した。私も訪ねるまで知りませんでしたが、斯波兼頼は、最上氏の祖であり、山形の町を拓いた人物ということのようです。余談として、南朝の武将新田義貞は、兼頼の家臣が討ち取ったとされ、義貞の所持していた名刀「鬼切」は兼頼以後最上氏の家宝となったそうです。