箱館戦争の激戦地、山の中で歴史を感じる。
二股口古戦場の特徴
箱館戦争の激戦地で、歴史を感じる場所です。
土方歳三が防衛戦で名を高めた重要な史跡です。
周囲の自然環境に熊の存在を感じられる場所です。
何もないところですが、五稜郭から遠く離れたこの山の中が戦場であったということが心に沁みます。人里離れたところですので、日中明るい時に行かれることをオススメします。
テレビで見たら熊が出るみたいなので奥には入りませんでした。
①箱館戦争の激戦地の一つ。②だいぶ浅くはなっているが塹壕の遺構が確認できる。目印にロープが張ってある。③春か秋に訪れるのがベスト。夏は草ボウボウで塹壕跡が見にくい。④熊にも注意。⑤説明板より→この場所は、昔一番古い道路のあった所で、 江差山道の通行の難所と言われたところです。下方の川には大野川の支流下二股川があります。箱館戦争の明治2年の戦いでは、榎本軍が各要所にざんごうを掘って土方歳三を隊長とする約300人の兵を率い頑強に官軍の前進を阻止した所であります。海岸戦の矢不来戦では榎本軍が退却したので、 土方軍も撤退したものですが、そうでなかったら二股戦はまだまだ長引いたものと思われる。明治3年8月4日には、後に京都東本願寺22代法主となった大谷光瑩一行が江差までおもむくために、 この沢を越した所でもあり、江差のニシン漁華やかな時代には、大勢の人々が往来したところの道路でもありました。
当たり外れは、有るけど 安いし美味しいです。
箱館戦争で土方歳三の名を一躍高めたのは、この二股口での防衛戦であった。乙部に上陸した官軍は五稜郭への最短距離であるこの道に600人で進出し更に増派遣した。土方歳三を隊長とする榎本軍は300人で台場山と天狗山に挟まれた二股口で迎え撃つ体制をとっていた。明治2年4月13日戦闘開始し序盤の2日間で、土方歳三軍は水で銃砲を冷やしながら35,000発の銃弾を消費した。戦闘は4/29迄続いたが官軍は、このルートでの突破を諦め二股口を大きく迂回する山岳ルートの開発に着手した。津軽海峡の海岸線で矢不来の戦いで榎本軍が敗れたため土方歳三は挟みうちになることを恐れ五稜郭方面に退却した。土方隊の戦死者は6人だった。官軍の山岳ルートが完成したときには箱館戦争は終結していた。国道から古戦場跡の木柱の奥に駐車スペースがあります。マップコード:490 066 844
土方歳三様が局地戦としては勝利した場所をぜひとも訪れたかったのですが、車を降りるなりアブの大群に襲われ、登山の装備もない中「この山は命に関わる」という看板に恐れをなし、写真だけで退却しました。
付近に駐車場がないので車の置き場が難しい(-_-)奥の方は木々が生い茂っていて熊が出る雰囲気ムンムンです…僕は怖くて入って行けませんでした(u003e_u003c)
| 名前 |
二股口古戦場 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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レンタカーで行きました。行くまでの道路は地元の車がかなり飛ばすので「ひかえおろう!!レンタカー様だぞ!」くらいの気持ちで行かないと釣られてスピードを出してしまい通り過ぎます。土方歳三の足跡を追った385kmのドライブの最後の目的地がここになりました。興味がなければただの山ですが、幕末の歴史が好きな人にはたまらないとおもいます。