中世の名残、館神社の歴史。
道仏館跡の特徴
中世から戦国末期まで南部氏の館があった場所です。
段丘地形を生かした独特な城郭の遺構があります。
二重の深い空堀が魅力的な歴史的スポットです。
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名前 |
道仏館跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
5.0 |
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今は館神社となっているが、ここは、中世から戦国末期まで、南部氏配下の領主の館、小さめながらも段丘地形を生かし、深い空堀を二重に配した城郭であった。この空堀は、良く保存されている。一見の価値はある。戦国最後の合戦となった九戸政実の乱(1591年)当時、ここは、南部信直方の赤松吉時が拝領していたが九戸方についた、櫛引氏と七戸氏に攻め込まれ、ついに落城してしまった。結局は、秀吉の援軍を得た南部信直方の勝利に終わったが、秀吉の仕置きもあってこの城は再建されることは無かった。けれども、この地の安寧を願うための社が祀られこととなりそして社殿の四隅にモミが植えられた。そのうちの一本が青森県で最大のものとなっている。