江戸時代の松前藩に触れる氷。
沖の口役所跡の特徴
江戸時代の松前藩の史跡が楽しめる場所です。
歴史を感じることができる貴重なスポットです。
北海道の文化や歴史に触れることができます。
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名前 |
沖の口役所跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
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江戸時代の北海道に松前藩という藩がありました。渡島半島の先端部に城を構えた石高1万石の大名です。当時の北海道は「コメ」が採れなかったため、松前藩は幕府からアイヌ民族との交易独占権が与えられ、それを主な収入源としていました。松前藩は魚介類、昆布、毛皮などの交易で、石高7万石にも相当する莫大な利潤を挙げていたようです。船舶交易を主な収入源とした松前藩は、城下に「沖之口番所」を設置して船舶、積荷、旅人から規定の税金を徴収しました。のち交易が民間商人の請負制となると番所の仕事量が格段に増えます。そこで江差にも番所を設置し、西蝦夷地の産物は江差へ、東蝦夷地の産物は箱館へ運んで「徴税」するようになったのです。なおこの施設は1821年に沖之口役所と改められ、維新後の1869年には「海官所」、さらに翌年に「海関所」と改称されましたが、1887年の出港税の廃止とともに閉鎖されました。この沖ノ口役所跡は国道228号沿いにあります。現在は交通量も少なく寂れた(失礼!)国道ですが、もともとは「福山街道」という函館と江差を結ぶ幹線道路だったのです。現在旧福山街道の一部は「いにしえ街道」として保全されており、当時の豪商の屋敷などが見学できます。ちなみに新選組二番隊組長「永倉新八」は松前藩士でした。松前藩江戸上屋敷で生まれ、江戸の神道無念流の道場で腕を磨きます。のち脱藩し市谷柳町にあった天然理心流の食客となり、其処の道場主「近藤勇」とともに新選組に加入しました。その後の活躍はご承知のとおりです。それにしてもあの生き方、憧れますね。2024.12.5